|
奇跡の生還・解明ファイル File No.010
「韓国・デパート崩壊事故 ガレキに埋もれた人々を救出せよ!」

2003/11/16 報告 報告者:伊達 徹
1995年6月29日、韓国・ソウル市。地上5階、地下4階の「三豊(サンプン)百貨店」は、多くの人で賑わっていた。しかし、午後5時50分。この高級デパートが突如、轟音を立てて崩壊のだ。駆けつけた救助隊の懸命な救出活動にもかかわらず、死者501名・負傷者937名・行方不明者6名という、韓国はもちろん世界にも類を見ない大惨事となったのである。ところが、何と事故から10日以上も経ってから奇跡的に生還した人がいる。果たして彼らはなぜ生還できたのか?
|
1995年6月29日 午前8時30分(崩壊9時間20分前)
|
いつものように店員達は開店準備を始めていた。実は事故前日、5階の従業員が天井のヒビ割れを発見していたが、小さかったので、報告しなかった。しかし翌朝、ひび割れがさらに大きくなっていたため、従業員は直ちに上司に報告した。
経営陣が集まり、天井のひび割れについての緊急会議を開いた。そしてデパートの営業はこのまま続けることになった。
社長が呼んだ建築士らがデパートに到着。調査の結果、危険を察知した専門家たちが警告を発したにもかかわらず、何と経営陣たちは、まもなく閉店だからという理由で、デパートの営業を続けることにしたのだ。
そして、ついに5階の天井が崩れ落ちた。デパートの崩壊が始まったのだ。まるで、地震が起こったかのように建物は揺れ始め、客や従業員達は皆一斉に出口に向かって逃げ出した。そして事故報告書によると、最初の崩壊が始まってから何とわずか45秒で、地下2階まで崩壊してしまったというのだ。
三豊デパートが崩壊した原因】
この建物には次のような欠陥があったという
・粗悪なコンクリートが使われていた。
・元々4階建てのオフィスビルを、建設途中で5階建てのデパートに変更。その際、エスカレーター設置のため、デパート中央部分の4本の柱を全て取り除き、弱い構造になってしまっていた。
その状況で、屋上で大型冷房装置を引きずって移動したという。コンクリートの強度はさらに下がった。そして大型冷房装置の重さに耐え切れず、屋上部分が崩壊。続いて支える柱が少ないため、5階部分が崩壊。下の階に行くほど重さが増していき、結果、地下まで一気に崩壊というのだ。
地上で懸命な救出作業が続く中・・・
【チェ・ミョンソクさん (地下1階・靴売り場の男性アルバイト) の場合】
デパート崩壊当時、チェ・ミョンソクさんは地下1階の靴売り場にいた。崩壊とともに突然床が抜け、彼はあっという間に意識を失った。彼はデパート崩壊と共に、地下1階の靴売場から一気に地下2階の駐車場エレベーター側まで落とされてしまった。だが、偶然にも、頑丈に作られたエスカレーターがガレキを支えてくれたため、彼は、ほとんど無傷でいられたのである。
【ユ・ジファンさん(地下1階・日用雑貨売り場の女性店員)の場合】
デパート崩壊当時、同じ地下1階にいた彼女は、反射的に逃げ出していたが、コンクリートの塊が落ちてきて、気を失った。彼女は、地下1階の売り場から、地下2階の駐車場エレベーター側に転落。
【パク・スンヒョンさん(地下1階・子供服売り場女性アルバイト)の場合】
デパート崩壊当時、彼女は地下1階から、出口に向かって逃げ出していたが突然、天井が崩れ始め、足がすくんで動けなくなってしまった。彼女もまた、地下1階の売り場から地下2階へと転落し、気を失ってしまった。そこは、長さ2m、幅70cm、高さ50cm程の空間。偶然にもそこにあったドラム缶が崩れ落ちてきた鉄骨を支え、瓦礫を防いだことによってできたものだった。
【チェ・ミョンソクさんの場合】
地下2階で生き埋めになっていたチェ・ミョンソクさんは、火災の煙で意識を取り戻す。閉じ込められてからは水分も取れなかったが、地上で消防隊が放水を行ったことで、水の一部が、彼のいた所にも流れ込んできた。しかし、その水に手が届かなかったため、靴下を脱ぎ、足元に溜まった水に浸した。そして靴下を足と手を使って口元に運び、彼はのどの渇きを癒したのだ。また激しい空腹を感じたときには、なんと近くにあったダンボールを水に浸して食べたという。
【パク・スンヒョンさんの場合】
彼女がいた空間にも、火災の熱が伝わってきていた。その暑さのせいで体力と気力が奪われていく。だが、彼女は大好きな韓国の童謡を歌って気を紛らわした。
あまりの暑さに耐えきれなくなった彼女は、着ていた服を全て脱ぎ、近くに転がっていた冷たいマネキンを抱きしめていた。
【ユ・ジファンさんの場合】
彼女はほとんど身動きが取れずにいた。しかし事故があった前日の夕食の時に交わした兄との会話を思い出し、励みにしながら、生きる希望を抱き続けていたという。
この頃、救助隊の疲労もピークに達していた。いくら探しても、ガレキの下から生存者は見つからない。事故対策本部は、活動の重点を人命救助からガレキの撤去作業へと変更したのである。
実は、この様な災害で生き埋めになった場合、3日、すなわち72時間を超えると生存率が一気に下がるという。そして、その理由には次の2つが挙げられる。
72時間が限界と言われる理由その@ 脱水症状
通常、人間の体は、何もしなくても、汗などで1日に約1.5リットルの水分を排出している。つまり、これと同量の水分を補給できなければ、体内の水分量は次第に減っていくことになり、その後、死に至るという。
◎体内の水分量が減ると・・・
血液中のナトリウムやカリウムの濃度が高くなる
↓
心臓を動かす筋肉の収縮がうまく働かなくなる
↓
心筋梗塞や狭心症に陥り最悪の場合、3日で死亡してしまう可能性がある
72時間が限界と言われる理由そのA 感覚遮断
感覚遮断とは、視覚・聴覚など外部からの感覚刺激が遮断された状況。カナダのマックギル大学の心理学者ヘッブ博士が行った実験では、被験者を外部刺激から遮断された部屋に隔離して、人間が正常な精神状態を保つことができたのは、約8時間が限界だと判明。8時間を過ぎると、恐怖感が高まり、その後凶暴になっていくという。さらに70時間を過ぎると「リスが走っている」「音楽が聞こえる」など、様々な幻覚症状が現れることがわかったというのだ。
◎感覚遮断を引き起こす精神状態にまでなると・・・
普段とは比べ物にならないほど強烈なストレスが脳にかかり続ける
↓
ホルモンバランスが崩れる
↓
心臓を動かす筋肉の収縮がうまく働かなくなる
↓
心筋梗塞や狭心症で死に至る場合がある
そのため、生き埋めになって閉じ込められた人間の生存の可能性は
3日、すなわち72時間がデッドラインとされているのだ。
チェ・ミョンソクさんの場合】
彼は、なんとか自分が生きていることを知らせようと手元にあった鉄の棒で、コンクリートを叩いた。すると何と、叩いた数と同じ数が返ってきたのだ。実は、その音の相手とはユ・ジファンさんだった。2人は実はすぐ近くに、閉じ込められており、この偶然の行為によって、2人は生きる勇気を持ち続けることができたという。
【ユ・ジファンさんの場合】
彼女の口の中は、割れるほどに乾ききっていた。だが、突き出た鉄筋から彼女の元へ水が流れ込んできた。彼女は手を伸ばしてそれを受け、少しずつ口に含んだ。実はこの頃、地上では雨が降っており、運良く彼女の元へも水が流れ込んできたのである。
もはや生存者がいる可能性はきわめて低くと考えられ、救助活動の効率化を図るため、クレーンやショベルカーなどの大型機械が導入されていた。
午前6時30分。
救助隊員がコンクリートの塊の下に小さな隙間を発見。だが、生存者は見えない。しかし、その穴の奥には、チェ・ミョンソクさんがいたのだ。そこで、彼は最後の力を振り絞り、鉄の棒を使ってコンクリートを叩いた。その音を聞いた救助隊員は、一本の棒を、その穴の中に入れ、誰かいたら棒を引っ張るように声をかけた。すると、その棒は・・・引っ張られたのである。
午前8時10分。
チェ・ミョンソクさん救出。デパート崩壊から実に230時間ぶりの奇跡の生還を遂げた。これまでの常識をはるかに超えた事故から11日目という救出劇に、世界中が沸き立ったのである。
午後3時30分。
ユ・ジファンさん救出。なんと、実に285時間ぶりの奇跡の生還を遂げたのである。実は、2日前に救出されたチェ・ミョンソクさんから「近くに一人生存者がいる」という情報を得て、救助隊は付近を捜索し続けた。その結果、彼が救出された場所からわずか4メートルほど離れたところで、ユ・ジファンさんが発見されたのである。
午前7時。
パク・スンヒョンさん救出。なんと、実に377時間ぶりの奇跡の生還だった。
彼女もまた、救助隊員の存在に気付き、最後の力を振り絞って、鉄パイプで
ドラム缶を叩き続けたのだ。
1400人以上の死傷者を出す大惨事となった三豊百貨店の崩壊事故。その原因は、構造上の欠陥と管理者側の安全意識の欠如にあった。まさに人災としかいえない大事故だったのである。
そして常識では考えられない、10日以上を経ての生還劇。3人を生還させた奇跡のポイントとは、一体何なのか?
◎3人を生還させた奇跡のポイント・・・
@身動きできないことで、逆に余計なエネルギー消費が
抑えられていたということ
A放水や雨水などによって水分が補給できていたということ
B感覚遮断による恐怖感を抱かずにいられたこと
以上、この3点が特に重要だったと考えられる。
◎今回彼らが感覚遮断による恐怖感を抱かずに済んだ理由とは・・・
【パク・スンヒョンさんの場合】
・寂しさを紛らわそうと、大好きな歌を口ずさんだ
・そばにあったマネキンを抱いた
→知らず知らずに恐怖感が高まることを防いでいたと考えられる。
【チェ・ミョンソクさんの場合】
・ダンボールを水に浸して食べていた。
→この食べるという行為は、恐怖感を軽減させる効果があるという。
【ユ・ジファンさんの場合】
・家族のことを思い浮かべながら救出を待っていた
→楽しい経験を思い出すことで恐怖感を軽減させたと考えられる。
さらに、チェ・ミョンソクさんとユ・ジファンさんの2人は鉄の棒とコンクリート瓦礫を叩き、コミュニケーションをとっていた
→相手の存在が確かめられたことで恐怖感を減らすことができた
・・・崩壊事故から8年。
チェ・ミョンソクさんは現在・・・
二度とこのような欠陥のある建物が造られることのないよう、
建築関連の勉強をし、現在、建築現場の監督として働いている。
ユ・ジファンさんは現在・・・
結婚して子供が2人でき、幸せな生活を送っている。
パク・スンヒョンさんは現在・・・
28歳、ボランティア活動をしているという。
いくつもの偶然と幸運が重なって実現した奇跡の生還。しかし、それだけではない。3人は絶望的な状況に置かれ、何度もくじけそうになりながらも、心の奥底では生きることへの執着を持ち続けていた。そのような強い気持ちが、奇跡を呼び込んだのである。
|