「日本が動いた日」(第28回)

2009/06/10 19:24

「何で会わせてもらえないのか、わからないですよ」
 6月4日朝、私は千葉刑務所の待合室でゴネていた。菅家さんの面会を申し込んでいたのだ。
これまでもトライしてきたが、"親族などの、親しい人にしか会わせられない"と断られてきた。
そして今日も。問答を繰り返す内に、応対する刑務官は2人から6人に増え、時計の針は一回り半もしていた。
 敗北感を噛みしめながらくぐる、赤煉瓦の門。
 すると、外で待機していた取材班のカメラマンが駆け寄ってきて、耳元でささやく。
「純子さん!今日、釈放ですって、今日、こ・れ・か・ら・ですよ」
「えーっ!今日なの?」
 本社のスタジオでニュース解説する予定だった清水記者も、人に仕事を任せてこちらへ向かっているという。そう、私たちは現場が好きなのだ。
 周囲の動きがビデオの早送りのように慌ただしくなってきた。門の前に設置された鉄パイプの規制線の中に、各社がぎゅうぎゅうに脚立をたて陣地を作る。中継車が電波チェックをし、上空には数機のヘリコプターが旋回を始める。狭い道路にあふれる報道陣と見物人。交通整理に駆り出された警察官の笛の音がけたたましく響く。取材を始めて2年。今日、千葉刑務所前の前には信じがたい人がいた。騒然とした空気に、事の重大さを改めて確信した。
「菅家さ~ん、釈放おめでとうございます」
15時48分。門があき、出てきた紺のワゴン車に向かって私は叫んだ。初めて見る菅家さん。ワゴン車の中にいた清水記者が、手を振ってやってくださいと頼んだらしい。
 面会で会えなかった菅家さんが、なんと、自分から外に出てきたのだ。今朝の1時間半はいったい何だったのだろうかと、マイクを持ったまま苦笑した。
 
 200人を優に超えた記者会見。会場内の興奮と拍手の中、菅家さんは壇上に上がった。表情は硬かったが、わかりやすい言葉と誠実な人柄が画面を通じて伝わった。
 それから、数日間、行き掛かり上、私は菅家さんの付き人のような立場になった。菅家さんは、どんな状況でも嫌な顔をせず、本当に素朴で柔らかい人だった。中でも一緒に行ったカラオケは印象深い。菅家さんは歌が大好きで、釈放されたら1番にやりたい事がカラオケだった。
「好きなことは、眠くないですねぇ」
と、疲れなど感じさせない菅家さんの嬉しそうな顔。十八番は橋幸夫。他に石原裕次郎や三田明など、一気に20曲を歌った。"いつでも夢を"を一緒に歌った。菅家さんにとっては、20年ぶりのデュエットだそうだ。時折ふざけて、「志村けん」のものまねをしたりする菅家さん。本当はこういう人だったのだ。菅家さんの素顔をそこに見た気がした。
 週末には、鎌倉の鶴岡八幡宮にも行った。
 外に出ると大勢の人々に囲まれる。"良かったですね""おめでとうございます""写真撮ってください"。中には、涙ぐんで握手を求める人もいた。
「釈放のお礼と、これから、良縁に恵まれますようにお願いしました」
菅家さんは、日増しに表情を取り戻していった。
 嬉しそうな菅家さんを見つめながら思った。
極悪非道な幼女殺人犯にされた人が、今や"時のひと"だった。
そして、今回の展開は、司法界に大きな衝撃をもたらした。ついに、最高検が謝罪会見をするという、前代見聞の結末を迎えた。
 まさしく日本は動いた。
 そして、目前のこの人は、自由を取り戻したのだ。
 私はその渦の中にたっぷりと身を浸し、これまでに経験した事のない充実感に包まれた。

「これ、連続事件だと思うんだよね」
'07晩夏、日本テレビの喫茶ルーム。清水記者と私は、たった2人の極秘ミーティングをし
ていた。
「もし、同一犯による連続事件なら、この事件は冤罪のはずだ」。
 あの日、それを根拠にこの取材が始まったのだ...。              
 

(杉本純子)


「再審以前」(第27回) 

2009/06/08 10:41

 取材開始から2年。菅家さんと、初めて会えたのは、釈放直後のワゴン車の中だった。
 開いた窓から、支援者に手を元気よく手を振る姿。今、自由の身となり、車窓を流れる街を見る瞳は、希望に輝きながらも、次第にこぼれんばかりの涙が溜まってきた...。
 
 検察庁の動きは早かった。
 私たちは、31日のバンキシャ「再審目前...水面下の攻防」で、DNA再鑑定結果に対する、検察の知られざる動きをお伝えした。検察官は、こっそりと遺族を呼び、被害者のDNA鑑定を求めていたのだ。だが、どうやらその結果は芳しいものではなかったらしい。
 放送翌日、霞ヶ関を中心とした関係機関から、さまざまな声が漏れ伝わってきた。
"いったい、誰がこの責任を取るのか"
"このままでは検察が持たない"
"自分たちは、警察馬鹿だった..."
 聞こえてくる言葉は、もはや敗北宣言としか取れないものばかりだった。
 4日午前、被害者、マミちゃんの母親に、検察庁から1本の電話が入った。それは、
「今日の午後、釈放することになりました...」というものだった。
 再審どころではなかった。その決定前に、検察が「刑の執行停止」を求めたのだ。これは日本で初めてのケースだという。検察は完全に白旗を上げた。
 足利事件は、菅家さんの「自供」とDNA鑑定という「物証」で起訴された事件だ。
 ところが、その自供には、まったく触れることがないままの釈放だ。それは、捜査がいかにずさんであり、あやふやなDNA鑑定だけで、起訴されたかという証明でもあった。

 殺人など重大事件で日本の再審は極めて少ない。過去開かれたいくつかの再審も、戦後の混乱の中での事件だったりと、特殊なケースが多い。しかし、足利事件は、平成の事件だ。にもかかわらず、こんな杜撰な捜査が行われていたことに、ただ呆れるばかりだ。
 結果、菅家さんという、全く別の被害者まで出してしまったのだ。

 さて、兎にも角にも、ここまで取材は到達した。事件記者としては、やりがいのある仕事であったと言える。しかし、喜んでなどいられない。事件は振り出しに戻り、未解決となったのだ。
 被害者は、遺族は納得できない。
 そして、犯人は、今もどこかにいる。
 たとえ時効であろうとも、警察は、捜査をやり直して頂きたい。
 そして、我々の取材も、ここでは終わらない。             
 

(清水 潔)

「乖離」 (第26回)

2009/06/03 10:40

 「もう菅家...... あえて"さん"を付けさせてもらいますけど、菅家さんが無実であるならば、早急に社会復帰して頂いて、20年間を埋めて頂きたいと思います」
 この発言は、弁護士でも支援者でもない、ある女性の口から出た言葉だった。マミちゃんの母親。つまり足利事件の遺族が、加害者として逮捕された人物の今後を案じた瞬間だった...。

 今は、足利市から遠く離れた地で暮らすその人に、一通の封書が届いたのは数日前のことだった。その手紙は日本の中枢、霞ヶ関から発信されていた。
 差出人は検察官。事件後、19年近く、連絡も説明もなかった検察官から、突然に届いた手紙だった。 
 便せんには、こう記されていた。
「直接会って、手続きの現状などについてご説明申し上げたい」。
 母親は、何のことか全くわからないまま、2時間かけて、指定された宇都宮地検を訪ねた。
 検察官は、早速、今回の再鑑定などについて説明を始めたが、それは10分程度で終わってしまった。そして続けて、こう切り出した。
「頬の粘膜の検体の提供をお願いしたい」
 それは、手紙では全く触れていなかったが、被害者と遺族に対するDNAの提供の依頼だったのである。
 事件から19年もたった今に、被害者側のDNA鑑定が必要なったのには理由がある。裁判所で行われたDNA再鑑定が"不一致"という結果だったからだ。検察官は、母親に対しこんな疑問を口にしたという。
「今回出てきたDNAは、単にお嬢さんのDNAを新しい技術で掘り当ててしまったのではないか」
 つまり、再鑑定で検出されたDNAは、犯人のものではなく、被害者のものではないかという仮説だった。もしそうならば、再鑑定は間違いだという可能性を述べたのである。さらに、
「検察官は、正義を実現する責任があるから、犯人でない人を閉じこめておくことはできない...」と話す一方で、こんな本音もこぼしている。
「実際に鑑定書が2通出てきて、よくわかんないけど、なんか偉い先生が言ったから、じゃあ出しましょうと...」簡単に、無罪釈放はできないという。鑑定人の一人は、検察側の推薦した人にも関わらず、ずいぶん乱暴な説明に思えるのだが...。
 突然の依頼だったが、母親は検体の提供に応じた。
とはいえ、母親が、協力した理由は、その根本が大きく違っていた。
 母親は"無実の証明"になればと思ったのである。
「やっぱり誰が見ても、違うものは違うんですよ。どっかに間違いがあるとすれば、それを追及してもらいたい」検察官にそう伝え、
"捜査の間違いを、はっきりとさせるために検体が必要ならば"と、提供をしたのである。

 菅家受刑者が無罪になれば、自分の娘の事件は未解決となる。ましてや事件は、すでに時効を迎えているのだ。そのすべてを分かったうえで、間違ったことには「間違い」と言い、事実をきちんと見極めようとする、強い意志を持った人だった。
 こんな取材をすると、いつも思う。
捜査の現場と被害者の意識は大きく乖離していると。
 とにかく「犯人」逮捕だけに走る警察の仕事と、「真犯人」を裁いてもらいたい遺族。そこには、悲しいまでの平行線があった。
 母は、警察に対しては、こうも言った。
「間違っているなら、警察側もそれを早く認めてほしい。でないと先に進めませんから...」

(清水 潔)

※この記事はACTIONコラムより移動しました。