動機(第12回)
動機
「人を殺してみたかった」
2000年5月。愛知県豊川市で、見知らぬ家に侵入し、主婦を殺害した高校生は、そう供述した。
殺人の動機などに納得できたことは一度もないが、その人命軽視と、浅はかな動機は受け止めようがなく、取材は行き詰まった。
思えばその頃からだった。
まったく理解不能の動機を、平然と口にする犯罪者が増えたのは…。
今週日曜、茨城県土浦市のJR荒川駅で起きた惨劇。男が、両手に持ったその凶器は、縁も、ゆかりもない8人もの人々を襲った。事件を起こした男は、無人交番のインターフォンで「私が犯人」と連絡し逮捕された。
そして言った。
「誰でも良かった。人を殺したかった」と。
男は、4日前に、住宅街で72歳の男性を刺殺し、指名手配されていた。
「妹を殺そうと思ったら、家にいなかったので出来なかった。学校を襲おうと思ったら、
先生がいたのであきらめて、たまたま居た男性を刺した」とも、供述したという。
事件当時、茨城県警は駅に、8人の捜査員を配置していた。だが結末は最悪のものになった。
当然のように、警察の捜査ミスを問う声があがった。
県警の会見では、幹部も“極めて残念”と不手際を認めざるを得なかった。
人数が少なかったのではないか、なぜ無線機を携帯していなかったのか…、
結果論の風当たりが強いが、今回の事件の本質は、果たして、そんなものなのだろうか?
考えなければならないのは、逮捕のための捜査員の配置と、事件再発防止のための手段は、まったく別だということだ。街にトラやライオンが飛び出したり、ガス漏れが起きたりしたら、その危険を市民に十二分に伝えるだろう。 だが、県警が行ったのは、“逮捕のための捜査”だ。
この駅で、犯人を検挙しようとしていた。市民を犯罪者から守ろうとしていたのではない。
似ているように思えるかもしれないが、これは、まるで違うものだ。
例えば、捜査員は防刃チョッキを着ていたという。
犯人の凶器の携帯を想定し、逮捕時に起こりうる危険を考慮していたからだ。
だが、その凶器が、市民に向けられるとは想定していなかったのではないのか。
だから、市民への広報や、危険周知は行われなかったのだ。
なぜなのか。
それは、事件の動機が理解できないからだ。
犯罪者が何をしようとしているのか、それが分らなければ、事件を食い止めることはできないのだ。
だが、「誰でも良かった。人を殺したかった」そういう男が、凶器を持って街を歩き廻っていたのである。
男はやりたいことをやった。だから、警察官が駆けつけた時、なんら抵抗することもなく、刃物を投げ捨て、逮捕されたのだ。
「人を殺してみたかった」
冒頭でそれを“浅はかな動機”と書いた。
取材当時は、ただ単にそう思っていた。
だが、それは違ったのかもしれない。
そんな犯罪者が生まれ出る、今の社会の病理。それをしっかりと受け止めるべきだった。
なぜそんな思考が産まれるのか、その深い、病巣を、 この国の問題として見つめていかなければ、
こうした事件はまた起きる。 (清水 潔)
黒い影はどこへ・・・(第11回)
「ガッシャーンという音がしたから外を見たの。そうしたら、黒い影が路地に駆け込んだのが見えたね。その後を4~5人の男性が、あっちだ!と叫んで追いかけて行ったのよ。
そりゃ、ドラマみたいだったんだから」
興奮覚めやらぬ近隣住民が、話してくれた。
その日は夕方から、マンションの裏手に男性が何人か集まっていた。
雰囲気から刑事の様にも見えたが、まさかと思っていた。
それから数時間後にその捕物劇があったという。
住民が見た“黒い影”こそが、警察が取り逃した殺人犯、市橋達也容疑者だった。
英国人英会話教師リンゼイ・アン・ホーカーさんが、千葉県市川市のマンションベランダで変わり果てた姿となって発見されてから、間もなく1年になる。
捜査のために訪ねてきた警察官を、振りきって逃走した市橋容疑者は、未だ見つかっていない。
市橋容疑者は、マンションの玄関に立った警察官の脇をすり抜け、階段を駆け下り、
マンション脇の隙間から住宅街に消えた。
目の前にいた犯人、手を伸ばせば、捕まえる事が出来た殺人犯を取り逃がした警察の大失態だ。
しかし、捜査の失敗は、それだけではない。
事件発生直後に公開された手配写真。
それは、スキー場で撮影されたものらしいが、まぶしそうに目を細めている。
市橋容疑者を直接知る人々は、その写真は実物と、かなり印象が違うと言った。
「こんな目つきじゃないもの。もっと目が大きいよね。聞き込みにきた刑事さんには言ったんだけどね」
それから数日後、警察は新たな別の写真を公開した。
現在、交番や駅に貼ってあるポスターに使われているものだ。最初の写真より黒目が大きく、目つきがするどい。人の印象を一番に決定付けるという“目”が違うのだ。
だが、人々の脳裏には、事件直後に広く出回った細い目つきの最初の写真が刷り込まれたに違いない。指名手配には、これが混乱を招いてしまったのではないか。
そして、更に根深い問題がある。
市民の警察への協力意識の低下だ。
多くの事件を取材してきて思うのは、市井の人は、ただでさえ、事件や警察と関わりを持ちたくないというのが本音だろう。時間はとられるし、事と場合によっては、身の危険を感じる。
刑事という普段接する事がない職業に、威圧感を持つ人もいるだろう。
さらに、こんな話を聞いたこともある。警察に情報を提供したら、自分が疑われた。
わざわざ警察署に出向いたら、隣の所轄が担当だから、と追い帰された。
どうも市民の善意と、警察の信頼関係がかみ合っていないと思わざるをえない。
過去、解決した難事件は、一般市民からの情報提供によるものが多いのにも関わらずだ。
リンゼイさんは天真爛漫な22歳の女性だった。
大好きな日本で英語を教えるという夢を持って来日した。
しかし、その夢は、突然閉ざされてしまった。
イギリスから来日した父親は、会見の席でこう語った。
「日本は、安全な国だと信じていた・・・」
涙を流した大きな瞳は、亡き娘とそっくりだった。
信頼していた日本という国で、時間を止めてしまった娘。遺族は、少しでも早く市橋容疑者を逮捕してほしいと、遠い海の向こうから呼びかけている。
“黒い影”を、このまま放置してはならない。
(杉本純子)
錆びた法律 (第10回)
「逮捕されれば死刑」
「逃げ切れば無罪」
逃亡中の犯罪者に、二者択一させたら、どちらを選ぶのだろうか?
それが公訴時効だ…。
その極めて象徴的な事件を、長く取材している。
足立区で起きた、女性小学校教諭殺害だ。
1978年夏、小学校の教諭だった石川千佳子さん(当時29歳)が行方不明となった。
そして、26年後に突然、犯人が警察に自首した。殺人事件だったのだ…。
当時の学校警備員の男が、千佳子さんを学校内で殺害し、遺体を自宅に持ち帰り、
床下に埋めたと自供。
すでに時効は成立しており、逮捕されないことを知ったうえで、警察に出頭したのだ。
遺体を埋めた自宅が、区画整理により取り壊されることなり、遺体が発見されると考え、
自供したという。
犯人の足下に隠され続けた遺体。
事件の存在そのものが長く隠蔽され、刑事訴訟法上の完全犯罪は成立した。
もちろん、遺族は納得できるはずなどない。
男と、男を雇用していた足立区に対し損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
だが、被告側は、殺害の事実を認めたうえで、不法行為から20年たつと賠償請求権が
自動的に消滅すると主張した。
民事事件の時効を訴えたのだ。
“人を殺したが、刑事、民事全てが時効、何ら裁きを受ける理由がない”
つまり、そう開き直ったということになる。
日本の司法は、これをどう判断するのか。
裁判は注目された。
ところが、2006年、地裁は殺害行為に対する賠償責任を認めなかったのである。
事実上の遺族の敗訴。
判決の日、白けきった傍聴席で、この国に「正義」はもうないのか、私はそう感じた。
だが、先月、高裁は逆転判決を下した。
「事件発覚まで、被害者の殺害を知ることができなかった遺族の請求に、
民法上の時効を適用するのは著しく正義・公平の理念に反する」と裁判長は述べている。
男は、その高裁判決を不服として、上告している…。
いったい、なぜ時効という制度が存在するのか?私には、犯罪者の「逃げ得」のようにしか思えない。
ある法律の専門家が、取材に応じてくれた。
・時間経過により、犯罪行為の社会的な影響が減少したり、証拠が散逸したりする。
・長期の捜査は納税者の負担、また長期逃亡は一種の社会的制裁を受けている。
・遺族感状が薄れる などだ。
どれ一つとして、納得できる理由など無かった。
説明をしてくれた専門家は、こうも付け足した。
「結局は国の都合なんですよ」。
つまりは、“未解決事件”を山積みにして置きたくないのだ。
ならば、この制度に助けられるのは、国と犯罪者ということになる。
果たして、最高裁は石川さん殺害事件にどんな決定を下すのだろうか。
これはただの民事訴訟判決ではない。
『人を殺害しても、埋めて隠せば一切の責任から回避されるのか、否か』ということだ。
刑事訴訟法が機能しない現実の中、今、この国の法と正義が問われているのである。
(清水 潔)


