若い頃、3週間だけ「3分クッキング」のアシスタントをつとめたことがある。
レギュラーで担当していた先輩アナが海外出張した際の留守番役。
私の覚束ない手つきと、気の利かないアシスタントぶりに、テレビを見た母が、
「あー、もっと料理を仕込んでおくんだった」と嘆いた。
収録スタジオの空気は、生放送のように、ピンと張り詰めていて、
先生と、画面には映らない助手の人たちの、見事な連係プレーに圧倒された。
料理は真剣勝負、と肌で感じた仕事だった。
1回だけ、「読響オーケストラハウス」の司会をつとめたことがある。
これもレギュラー担当者の出張によるピンチヒッター。
その回のテーマは「オペレッタ」であった。
紹介する機会が少ない分野なので、監修した音楽家が張り切って、
「番組全体を舞台劇のようにしたい。司会者も演者の一人だ!」
台本を開くと、いきなり、
「『ベアトリ姐ちゃん、ま~だ~ねんね~かい?』と司会、歌いながら登場」
とあり、目が点になった。
ただもう必死で舞台に上がり、出来はよく覚えていないが、
リハーサルで初対面の挨拶をした時に、オーケストラの団員が、
弦楽器の弓で弦を、管楽器の吹き口を指でトントントン…、と軽くたたいて、
歓迎してくれたことが、忘れられない。
BS日テレ「深層ニュース」も、3日間だけキャスターをつとめたことがある。
日替わりのテーマは「日中関係」、「ロコモティブ症候群」、「相続と遺言」。
BSの多様性と、一つのことをじっくり掘り下げられる面白さを味わった。
アナウンサーは、陸上競技に例えれば十種競技の選手、と後輩たちに言ってきた。
ニュース、ナレーション、インタビュー、スポーツ実況、司会、リポート…。
幅広く、バランスよく力を蓄えて、と偉そうに言う私自身の担当分野は年々狭まり、
今や、ナレーションと朗読。ほぼ一種競技である。
時折ピンチヒッターをつとめると、「よろずや専門職」のアナウンサーとして、
幾つになっても、幅を広げることを怠ってはいけないな、と反省する。