9月18日 伝え手は、泣いてはいけない

高田郁さんの「晩夏光」という小説を、今年の晩夏、ラジオ日本「わたしの図書室」で朗読した。

苦労の多い人生の末に、認知症になる女性の話。あまりに切ない結末に、本番収録中、スタジオの副調整室で、ディレクターが涙を流していた。

 

朗読番組は、作品が決まると、まず音読して時間を計測し、漢字の読みやアクセントを調べて、練習を重ねる。

一作を通して読んで、ICレコーダーに録音し、自分で聞いてチェック、手直し…という作業を繰り返して仕上げていくのだが、

胸に迫る作品は、練習しながら泣いてしまって、声が続かなくなることもしばしば…

しかし、伝え手が泣いてはいけない、ということは、新人アナウンサーの頃、先輩から厳しく言われた。

「泣くのは君じゃない、視聴者なんだ。伝え手が感動をつまみ食いするな」

 

戦争や災害を実際に体験した人が、語りながら泣くのは、聴く人の心を揺さぶる。

身をもって経験したことの強烈さが、矢のように直接、的を射る。

しかし、アナウンサーは、現場で取材したとしても、体験者と視聴者をつなぐ伝え手、架け橋である。

出来事の真っ只中にある要素を集め、届ける宅配業者。自らの心に怒りや悲しみが沸き起こっても、取り乱すことなく、情報を載せて運ばなくては、仕事にならない。

 

朗読者も、そしておそらくは俳優も、小説や戯曲の真髄を自分の身体と声を通して、そう、まさに通り抜けさせて、聴き手や観客に、まるごと届ける仕事なのだと思う。

朗読しながら泣かないためには、まず何度も練習すること。それでもあやういときには、私は、手の甲を、痕がつくほどギュッとつねりながら読む。

痛みで感情を麻痺させて…荒っぽいが、泣くよりもその方が、出来は良い。