4月7日 詩が足りない

銀座の画廊で小さな個展を見た。

子供のあどけない表情を描いて注目されてきた若手画家が、母となり、

わが子をモデルにしたとおぼしき作品や、母子像が並んでいる。

「線が、より柔和になったでしょ。母の目なのかなァ」と画廊主がほほ笑む。

子育て真っただ中の画家自身は、画廊に来る時間のゆとりがないらしい。

春の陽射しのような作品の温もりに、幸せをもらった気分で礼を言ったら、画廊主は、

「でも、ウクライナのニュースを見ていると、こんな呑気な仕事をしていていいのかな、と思ってしまいますよ」とため息をついた。

「いえ、こういうものが足りないから、世界が切羽詰まってくるんです」

 

その少し前、ラジオ日本の仕事で、詩人の谷川俊太郎さんにお目にかかる機会があった。

90歳の現在も、新たな詩を生み出されている。

事前に、これまで作られた詩を、といっても厖大な数なので、ほんの一部だが読んでみた。

子供の頃に触れた懐かしい詩、言葉遊びのリズミカルな詩、ユーモアあふれる詩。

しかし、大人になって読むと、奥底に流れる、鋭さ、厳しさも感じる。

詩人が自分自身に向けた問いが、私の心にも向かってくる。

優しいばかりではない、みずみずしさ。忘れていた感覚。

私の生活は、いつの間にか、詩から遠いものになっていたようだ。

 

芸術は、自由な心、自由を求める心から生まれる。

論理ではすくい切れない、しかし大切なものを、探し求めている。

それが、ぎりぎりのところで人間を支えることもあるのではないか。

暮らしの中で、さまざまな意味での「詩」に触れることは、

遠回りのようでいて、望ましい世界につながる、一本の道なのかもしれない。

今、政治や経済に大きな影響力を持つ人々に、あまりにも、詩が足りない。