ニュースの中に、「ヒマネタ」と呼ばれるジャンルがある。
政治、経済、災害、事件、事故のような緊急性はなく、
季節の花や、動物の赤ちゃん誕生、祭りや催しなど、
明るくホッとする話題、「暇ネタ」。
私が新人の頃は、ニュース番組での男性と女性の役割分担が杓子定規に決められていて、
政治、経済をはじめ、硬派のニュース、大きなニュースは男性アナが読み、
女性アナは「ヒマネタ」担当であった。
なぜ、女性は政治経済のトップニュースを読ませてもらえないのか?
当然の疑問を呈した人々の努力で、1980年代、
(テレビ業界だけでなく、さまざまな分野で)男女の仕事の垣根が取り払われ、
今、女性がメインキャスターをつとめるニュース番組は少しも珍しくない。
先日ある大学で昔話をする機会があり、「私の数年先輩の女性アナは、
急に入ってきた事件のニュースを伝えた時、『俺の書いた原稿を女に読ませたのか!』と
警視庁担当の記者からクレームが来たのよ」と話したら、学生さんたちは目を丸くしていた。
実は、アナウンス技術という点では、ヒマネタの方が難度が高い。
「いつ、どこで、誰が...」や、数字のデータといった「情報」を正確に伝えるだけでなく、
ヒマネタは、「情感」を豊かに表現する力が求められる。
満開の桜、伝統の祭り...高齢などの理由で外出が難しい視聴者に、
そこに出かけたような気分になってもらえたら、伝え手冥利。
ヒマネタが読みこなせてこそ、プロとして一人前なのである。
そして、ヒマネタは平和の象徴でもある。自然災害や大きな事件が起きた時は、
ニュースにヒマネタの入る余地がない。
さりげない季節感を報道に織り込める日の幸せ。忘れてはならないと思う。
さらに、ヒマネタは決して些細な出来事ではない。
花の咲き具合や紅葉の色づきは、自然や環境の変化を反映し、
地域の祭りの賑わいや担い手の状況から、社会の現在と、未来も垣間見える。
ヒマネタ、すなわち人間の日々の営みから世界を見つめ、読み解くようなニュース番組を
つくれないものかしら。
ニュースの担当を離れて10年以上経った今も、ふと、そんなことを考えるときがある。