2月25日 光の春

二月。
日射しは眩いが、気温は不安定で、凍えるような寒さの日も少なくない。
 
「光の春」という言葉を知ったのは、アナウンサーになり、天気予報を担当してからのこと。
もとは、ロシアの言葉だという。
長い冬を過ごしたあと、太陽の光に春の兆しを感じた人々の喜びが伝わってくるようで、日本語の響きも美しい。
光は一番速く、そして一番早く春を告げる...。
 

 
「日脚伸ぶ」は、冬の季語だが、夕暮れがのんびりとして明るくなったと感じるのは、立春を過ぎて少し経ってから。
「春の日と金持ちの親戚は、くれそうでくれぬ」
こんなユーモラスなひと言を教えてくれたのも、気象協会の人だったかしら...。
しかし、天気予報の挨拶にはあまり向かない。
 
早春の味覚で好きなのは、ふきのとう。
八百屋さんの店先に並ぶとすぐに買い求め、天ぷら、胡桃和え、蕗味噌、と珍しく料理にいそしむ。
ほろ苦さと、淡い青味が、冬のよどみから体を目覚めさせてくれるような気がする。
 
この感覚を天気予報のコメントにしてみたい、と若い頃、あれこれ考えてみたのだが、難しい。
雪の中から生い出る姿を知らず、食べるだけでは苦労が足りないのか。いや、感性の問題か...。
 
天気予報を担当しなくなった今も、道すがら、草木や空に目をやり、
季節の移ろいを言葉で表現しようとしている自分に気づく。
それが何だ?と言ってしまえばそれまでだが、自由で心楽しいシミュレーション。
季節感を探し、伝えることを教えてくれた、アナウンサーという仕事の役得、と感謝している。