この秋、かつて美術番組「美の世界」で取材した、ある絵描きさんの個展に出かけた。
タイミングよく、ご本人にお会いでき、話が弾む。
老境に入っても真摯に自分の世界を探求する芸術家の言葉は、他意なく、率直なだけに、グサリと心に突き刺さる時がある。
「最近、展覧会に行ってる?」
「時々…」と私。
「ホックニーは見た?マチス展は?」
私は、かぶりを振る。
「忙しいんだねェ」
私は、恥じ入ってうつむく。
マチス展は、前を通りかかって「あッ」と思ったけれど、昔ニューヨークで大マチス展を見たから、と入らなかった。
ホックニーは…現代美術か、もう番組の担当でもないし、いいかな、と敬遠していた。
美術は不要不急のものではなく、人間が生きていくうえで必須のもの、というのが、美術番組を担当して得た収穫だったはずなのに、このていたらく…。
サボっちゃだめだよ、と絵描きさんの大きな手で、肩をたたかれた気がした。
3日後、私はホックニー展の会場にいた。美術への志向というよりも、恥と悔しさが足を運ばせたのである。
行ってよかった!すがすがしい水の描写に、文字通り、心を洗われる思いがした…。
怠け者の私は、ひとりでは何もしない、何もできない。
番組スタッフに支えられ、守り立てられて、キャスターを務め、出会ったゲストの言葉に刺激を受けて、本を読んだり、美術館や劇場に足を運んだり…箱根駅伝予選会の集団走で、チームの仲間に引っ張られ、励まされながら、何とか後尾についていく選手のような日々を、定年を過ぎた今も過ごしている。
いろいろな人とかかわりの持てるテレビの世界で仕事ができたことは、ぐうたらな私にとって、まことに幸運なことであった。