9月21日 銀シャリ

テレビのインタビューで将来の夢を聞かれた子どもが「声優になりたい!」と目を輝かす。

魅力的な声優さんは昔から数多くいて、私の子供時代にも、アニメや洋画の吹き替えで、

「あ、あの声だ」

と親しみ、なじんでいた人が何人もいた。

今は、声で演じるだけでなく、顔を出してトークやコンサートで活躍する人も少なくない。

ナレーションも、声優さんが担当する機会が増えてきている。

そのせいか、「自分の声には個性がない」とか、「アニメっぽくナレーションしてほしいと言われたが、上手くいかない」と悩む若手アナウンサーも出てくる。

 

声優でナレーターの、真地勇志さんに教わったことだが、

声で伝えるものは情報と情感。情報にウェイトを置いたナレーションはアナウンサー向きで、情感たっぷりのものは、声優、俳優が得意とするところである。

真地さん自身は、どちらも軽々とやってのける、トップナレーター。

アナウンサーも、かくありたいと思うが、まずは情報を正確に、一字一句もゆるがせにせず伝えることを鍛錬し、ノンフィクションはやはりアナウンサーだね、と言われるようにならねばと思う。

その上で、人間の幅、声の幅を広げて、豊かな情感も届けたい。

ナレーターとして目指す頂上は、アナウンサーも声優も、同じ景色なのではないかしら。

 

昔、アナウンサーの牙城だったNHKのニュースに、記者出身のキャスターが登場した時、著名な国語学者が「アナウンサーのニュース読みは銀シャリ、記者キャスターは焼き飯」と評したことがある。

アナウンサーは、白いご飯のような端正な語りに、情報をおかずとして載せるが、記者キャスターは、情報を混ぜ込んだ語り口。焼き飯の方が、初めから味がついていて美味しい、と感じる人も多いことだろう。取材経験を生かして、小鉢のような一言コメントを添えることもあり、視聴者の満足度は、より高まる。

しかし、毎日食べて飽きの来ないのは、白米ではなかろうか。

「銀シャリ」と呼ばれるほどに、磨き上げた、つやのある白いご飯になって、情報や情感の味わいをじっくり堪能してもらえるアナウンサーが、私の理想。日暮れて道遠し…。