6月7日 年の差なんて

この春、高校生を前に、自己紹介をした。

「私が高校に入学したのは、ちょうど50年前!皆さんと、半世紀違うのね!」

自分ではそんなに昔のこととは思えないのだが、50年といえば、短い年月ではない。

目の前にいるのは、ほとんど孫のような世代の若者たちである。

 

会社の新規事業の一環として、都内の塾で女子高校生対象の講座を担当して3年目。

教員免許も専門分野もない私に、できることなどないと思っていたのだが、男女雇用機会均等法以前の時代に社会に出て、仕事をしてきた人間の体験談は、これから自分の未来を切り開いていく人たちには、新鮮に刺激的に響くらしい。

 

「1970年代、大学の就職部の求人票には、女子も採用、という会社が十分の一もなかった」

「テレビニュースの担当分野は、政治・経済・事件事故が男性アナ。女性アナは、季節の話題や動物の赤ちゃん。私の数年先輩の女性が、急に飛び込んできた事件のニュースを読んだら、原稿を書いた男性記者から『俺の原稿を女に読ませたのか!?』と、クレームが来たの」

 

思えば、この半世紀でアナウンサーの仕事の内容はずいぶん変わった。男女ともに、幅広くなった。世の中を見渡すと、今なお、変わらないこともいろいろあるけれど…。年の差を超えて、高校生たちは、私の話を真剣に聴き、ビビッドに反応する。

誰もが、自分の好きな分野で個性を生かして働くためには、どうすればいいのか?女性が不自由を感じる社会は、男性もどこかで無理をしているのではないか?多様性とは何か?普通とは何か?人間は、自分も他人も枠にはめることで、安心しようとしているのではないか…?

 

21世紀生まれの人たちと、そもそも言葉が通じるのかしらん?と初めは思っていたのだが、杞憂であった。身近に存在する無意識の固定観念への気づきから、政治の世界の話まで、定年を過ぎた私と高校生との対話は、尽きることがない。年の差を感じるどころか、こちらが学ばせてもらう日々。今どきの若者は頼もしい。未来は明るい、と心から思う。