7月25日 溝(みぞ)が浮き彫り

「意見は食い違い、両者の間の溝が浮き彫りとなりました」
ニュースで時々耳にする表現だが、ちょっぴり変である。
溝は、深まったり、大きくなったりするが、浮き彫りにはならない。
「浮き彫り」は「比喩的に物事の状態をはっきりと目立たせること」と辞書にあるが、
「溝」がそもそも比喩なのだから、比喩の文中での整合性をはかるべきであろう。


「絆が深まる」という言い方も、考えてみると不思議である。
絆は、結ぶ綱だから、心の場合も、強まる、とか、固いものになる、というべきところ。
しかし、理解や愛情そのものととらえているのか、「絆が深まる」を用例に挙げている辞書もある。


選挙報道でつい言ってしまうのが、
「過半数を超えました」
半数を超える数が「過半数」なのだから、「過半数を超える」は重複表現。
一方、「過半数割れ」も、問題あり。
総議席が偶数の場合、半数の議席を占めても、「過半数割れ」である。
単に、「半数を超えた」、「半数割れ」、と言えばいい。


アナウンサーは、言葉の細部にこだわる。
小さな部分を整えてこそ、全体も確かなものになる、と思っている。
ただ、上記の例は、間違いではあっても、誤解を招くことはない。
意味するところはきちんと伝わる。この表現で傷つく人もいない。
それよりも、誠意のない約束や、論点をすり替えるような発言、思いやりを欠いたひと言。
言葉や文法の間違いがなくとも、こちらの方がよほど問題ではなかろうか、と昨今つくづく思う。
ことに公人の場合、発した言葉の責任は重い。