アナウンサーの仕事は、時間が不規則なことが多い。
早朝番組、深夜のニュース…曜日によって出勤時間がまるで違うアナウンサーもいる。
丈夫だけが取り柄の私。若い頃はこの不規則勤務を何とかこなしてきたが、
入社16年目の1995年春、体調を崩した。
その年は、1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件が起き、多くの人が突然、命を、それまでの日常を、奪われた年だった。
消防をはじめとする災害時救援者、医療従事者、ボランティアが懸命に活動する中、
ニュースを担当しながら、私は何の役にも立っていない、と無力感に襲われた。
気持ちが沈み、やがて背中の痛みと高熱が出て、いくつかの番組を休んだ。
その時つくづく思ったことは、何もできない、と悩んで体調を崩していては、
ますます他人に迷惑をかけてしまう、ということ。
非力で、守備範囲は狭くとも、まず自分がしっかりと立って、日々の営みを紡いでいく。
それが大人の基本なのだ、と30代も後半になって、ようやく気づいた。
それ以来、無理はしない、と決めた。
自分が抱えきれない重さの荷物は持たず、元気な時に、小分けにして、ちょっぴり担う。
この手前勝手な理屈で、その後は殆ど病気知らずで今に至っている。
書いていても何だか情けないが、これが私である。
はや年の暮。2年経ってもコロナ感染症への不安は消えず、世界を見渡せば、内戦、テロ、経済格差、差別…悲惨に満ち、理不尽なことに苦しんでいる人が数多くいる。
そのことは忘れず、しかし、笑顔も忘れず、日常を大事に、自らの務めを果たしていこう。
来年は、良い年になりますように。