10月13日 歴史になるとは思わずに

昭和39年(1964年)の東京オリンピックを覚えている、と言って、後輩アナに驚かれたことがある。

「東京オリンピックを2度体験する人が、同じ職場にいるとは思いませんでした!!」

だって覚えているのだもの、しかたない。“東洋の魔女”のバレーボール優勝の瞬間も、

チャスラフスカ選手の優美な体操も、テレビで見た。当時、私は小学一年生。

すでにカラー放送は始まっていたが、我が家のテレビは、まだ白黒であった。

 

時は流れ、日本テレビに入社したのは、昭和55年(1980年)。テレビ放送開始から四半世紀という節目のすぐ後である。

ビデオデッキがようやく普及し始めた頃で、アナウンサーとしてのデビューの天気予報は、

会社で録画してくれたけれど、家にはまだ機械がなく、残っている映像は数えるほど。

「井田アナ、昔の映像ありませんか?」とバラエティー番組などから求められても、ロクなものがない。

日々新たな仕事に取り組むのが精一杯で、記録しよう、残しておこう、などと考える余裕はなかった。

 

来年、日本テレビは開局70周年を迎える。

初期の映像は希少で、まさにお宝もの。収録用のテープが高価なため、番組予算では多くは買えず、どんどん消去して次の回を録画していた。

保存していた番組も、収蔵スペースが足りなくなり、「原則、処分!」などという、とんでもない命令が出て、散逸してしまったとか。

残念なことだが、ひとつには、若かったテレビの、若い作り手たちが、「自分たちの番組が歴史になる日が来る」などとは思っていなかった、ということもあるのだろう。

虫食いの古地図のような初期のライブラリー。後輩に残されたのは、語り伝えられてきたエピソードや、培われ、伝承されてきた技量。

しかし、それこそが大切。番組を創る“熱”は、先達の話や指導に込められている。

 

今や、個人でも映像や音声を記録・保存することは、きわめて容易になった。

アーカイブを意識して、自らの毎日を残し、積み重ねてくことは、21世紀の若者の恵まれた姿であり、素敵だなと思う。

でも、うらやましくて仕方がないか、というと…そうでもない。

仕事でも人生でも、本当に大切な瞬間は、記録ではなく、記憶の中にあるような気がするから。