4月2日 なぎの日

お正月の高校サッカー選手権で全国大会の常連校だったチームの監督が、
連続出場の途切れた年に、こうつぶやいたという。
「正月って、どんなふうに過ごすものだったかなぁ...?」
寒風吹きすさぶサッカー場で、ダウンコートを着込んで選手を指導するのが
年末年始の恒例行事だった監督にとって、のんびり過ごせたその年のお正月は、
何だか物足りない、気の抜けたものだったかもしれない。


嵐の日よりも、凪(なぎ)の日の方が、航海は難しい。
若い頃の仕事の忙しさ。嵐にたとえるのは大袈裟かもしれないが、
不慣れなアナウンサーの私にとっては、高波と強風に揉まれながら、
小船で海を渡っていくような日々だった。


月曜から金曜までの早朝番組に加え、週一回のインタビュー番組。
情報番組のリポートや・ナレーション。春と秋の番組改編期には特番に出ることもあったし、
マラソンや女子駅伝などのスポーツも、サブアナとして手伝い、中継所の実況も担当した。
二十代は、何を食べていたのか思い出せないほど、仕事に追われて過ぎた。
三十代に入り、目の回るような忙しさはなくなったが、
報道番組と美術番組を軸に、活気ある日々は続いた。


四十代半ば、平日のニュース番組の担当をはずれて、
アナウンサー人生で初めて、といっていいほど、ゆったりと過ごせるようになった。
はっきり言えば、仕事が減り、ヒマになった。
ようやくマイペースで働けるようになった、これからだ、と思ったのだが...
仕事に追われ、走り続けてきた習い性で、差し迫った課題が目の前にないと、
情けないことにどうしていいかわからない。
時間のゆとりがあることで、却ってペースが乱れ、焦り、つんのめる感じで、
一時は体調を崩してしまった...。


なぎの日に、穏やかな海の景色を楽しみつつ、自分の流儀で漕ぎ、渡っていけるのが、
本物のプロ、大人の仕事人なのであろう。忙しさに充実感を覚えているうちは、まだまだ青い。
宿題のない春休みに、どんな自由研究ができるか、ゆっくり考えているところなのさ、
と開き直ることができるようになったのは、五十代も半ばを過ぎてからである。