3月29日 1枚の原稿もなく、ニュースを伝えたことがある。

1994年、細川内閣の時代、政治改革関連法案が、参議院本会議で否決された時のこと。
当時の私は、週末の夜11時半のニュース「きょうの出来事」のキャスター。
与野党とも党内分裂、"造反○○人"などという混迷の中、
「今夜の原稿は"追い込む"(現場の記者から届くのが、時間ギリギリになる)だろうな」
と、覚悟はしていたが、放送10分前になっても、5分前になっても、全く音沙汰がない。現場の記者たちは取材に奔走。先の見えない展開を必死に探っている最中...。
生放送は目前。しかも、今夜の項目はこれひとつ。大きな出来事だから、番組全部の時間をかけて伝える、とデスク(雑誌で言えば編集長にあたる、番組責任者)が宣言している。


「これは、ひょっとすると、1行も届かないかも」
放送3分前。覚悟を決めた私は、番組の段取りをつかさどるディレクターと目で相談し、デスクには何も言わずに(親分肌で"瞬間湯沸器"型のデスクは、怒ると大変なのである)、解説役としてただ一人、報道フロアに残っていた同期入社の政治部記者に耳打ちした。
「あのね、大きな声を出さないでね。原稿、全然来ないの。出先の中継と、あなたの解説でつなぐから、よろしく」
ラグビーで鍛えた堂々たる体躯が一瞬硬直したが、次の瞬間、「よっしゃ」と同期の記者は頼もしく請け合ってくれ、そのまま共にスタジオへ。


手元にあるのは、『政治改革関連法案、参院で否決』と書かれた1枚の項目表。
言葉を多少補って、ニュースの出だしとして、概要を伝え、あとは、ディレクターの判断で、用意ができた順に、現場からの中継、スタジオの記者解説、情報整理。
次の場面がどうなるのかわからない、手探り、綱渡りの15分。長いような短いような不思議な感覚の時間を、夢中で駆け抜けた...。


自宅でテレビを見ていた報道局幹部が、「流れが自然で良かった」と後日、褒めてくれたけれど、そりゃそうでしょう。出たとこ勝負の、全部アドリブなのだから。


滅多にないことだが、時に、とんでもないことが起きる、生放送。
アナウンサーは、どこまで準備すればいいのか?
最小限、自力で放送を持ちこたえるだけの"空気ボンベ"を持つこと。
ボンベの中身は、基礎知識と、状況に対応する、しなやかさであろうか。
これを携えて初動を乗り切れば、あとは番組スタッフが、機動力で懸命に支えてくれる。
浮輪が投げ込まれる前に沈まないよう、日頃から、ボンベに空気を入れ続けることが、私たちの仕事だ。