スポーツ実況の経験は、私には、ごくわずかしかない。
アナウンサーになった1980年、スポーツ番組は男性アナの舞台、牙城であった。
新人研修で、街の様子を描写する実況リポートは教わったが、スポーツの研修はなかった。
数年後輩の女性アナも、スポーツニュースの新人研修で、「女性は必要ない」と、男性アナしか原稿を読ませてもらえなかった、という。
しかし、先例がなかったわけではない。
私よりも20年以上先輩の女性アナが、かつてゴルフ中継で実況をした、と聞いている。
もう故人になられたが、話を聞いておけばよかった、と悔やまれる。
思えばスポーツ自体、女性の競技種目が、かつては少なかった。
平成生まれの人には信じられないだろうが、フルマラソンに女子選手の出場が認められたのは1972年のボストンマラソンから。それまでは、どうしても走りたい女性が男装してレースに潜り込み、見つかってつまみ出される、などということが、起きていたのである。
サッカーも、レスリングも、重量挙げも、テレビで見るのは男子選手ばかりだった。
1980年代以降、社会のさまざまな分野で、男女の役割を固定化していた垣根がはずれ、
女性アナウンサーがスポーツ実況を担当する機会も少しずつ増えてきた。
横浜国際女子駅伝や、小学生バレーボールの全国大会で、私もささやかに実況を経験。
先輩や同僚には、女子駅伝のセンター実況や、ゴール実況をつとめた女性もいる。
最近は、体操、ゴルフ、バイクなどで、継続的に実況を担当する女性アナも。
とはいえ、女子選手の華々しい活躍に比べると、女性アナのスポーツ実況は、まだ歴史の始まりの段階。男性アナが長年培ってきた世界、地道な努力の積み重ねを見習い、独自の表現に至るまでには、なお時間がかかることだろう。
それでも、ひとしずくから流れへ、水の量は年々豊かになってきている。
‘84雪の「横浜国際女子駅伝」終了後