ロンドンから三度、英国王室関連行事の生中継を担当したことがある。
1997年のダイアナ元皇太子妃の葬儀。
2011年のウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式。
そして2012年のエリザベス女王即位60周年記念・テムズ川の水上パレード。
エリザベス女王が乗る船を中心に、1000隻の船がテムズ川を下るという。
前回行われたのは約350年前(!)、チャールズ2世の結婚式の時とか。
「資料です」とスタッフから手渡されたのは、銅版画とおぼしき一枚の絵。
古風な船が、テムズの流れにたくさん浮かんで、賑わっている。
さて、どう実況したものか…。
直前まで現地に行けないので、隅田川の水上バスに乗って、
テムズ川との川幅の違いを考慮しつつ、川下りの感覚をつかもうと試みたり、
汐留の高層ビルから隅田川を眺めて、屋形船の動きで実況練習をしてみたり…。
何かヒントはないか、とすがる思いで、夏目漱石の「倫敦塔」を読み、
「壁土を溶(とか)し込んだように見ゆるテームスの流れ」
という描写に出会い、放送当日、この一節を実況に引用させてもらった。
この春、その「倫敦塔」をラジオ日本の「わたしの図書室」で朗読した。
英国の歴史の暗部、人間の血と罪が刻まれた倫敦塔。
留学後まもなく塔を訪れた漱石は、舞台劇を展開するように空想の翼を広げ、
幽閉、処刑された人々の苦痛と恐怖に思いを馳せながら、敢えて言う。
「凡ての人は生きねばならぬ」
これは、「古今にわたる大真理」で
「何の理屈も入(い)らぬ」、「真理は…あくまでも生きよと咡(ささや)く」
と、絶望的な状況に置かれた人々の胸中を描写する。
今回読んでみて、このくだりがしばらく頭から離れなかった。
20世紀の初めにロンドンに滞在した漱石が世を去ったのは、1916年。
スペイン風邪の大流行も知らぬ漱石だが、人の世を鋭く見通した文豪の言葉は、
時を超え、今、閉塞感の中で生きる私たちへのエールのように思えてくる。