11月18日 パリの小話

白いテーブルやお皿の上に、アスパラガス、桃、玉葱...。
身近な題材をおだやかな色合いで描いた画家、島村達彦(しまむらたつお)さん(1922~2004)の回顧展が、
銀座の画廊で開かれた。
 
美術番組でアトリエを訪ねたのは20年も前のこと。
撮影の合間に話してくださった、半世紀前、若き日のパリでの体験談が、今も忘れられない。
 
「5階建てのアパートの前でね、ある日、スケッチをしていたんです。
しばらくすると、最上階の窓からおばあさんがひとり、洗濯物越しに、じろじろ見下ろしている。
『妙な東洋人がいるよ』とでも思ったんでしょう」
控えめな性格の島村さんだが、こと美術の修業に関しては、そんな視線に構ってはいられない。
描き続けていると、おばあさんは10分おきくらいに何度ものぞく。
少し意地になって、いつもより時間をかけて念入りに描き終えたところで、上から声が降ってきた。
「終わったかい?」
「終わりました」
「あ、そう」
と言うやいなや、おばあさんは窓の外の洗濯物を取り込み始めた。
「つまり、僕が描き終えるまで、待っていてくれたんです。
『絵描きが描いている風景が途中で変わってはいけない』と」
一番上の階の、わずかな洗濯物で、スケッチにたいした影響はなかったんですけどね、
と、島村さんは嬉しそうに微笑んだ。
 
別の日、公園で描き始めたら、警官が近づいてきた。
職務質問でもされるかと思ったが、絵をちらっと見ただけで、向こうへ歩いて行き、交通整理を始めた。
車を迂回させている。
「何か催しでもあるのかと思ったんですが、まあ、立ち退けと言われるまではいいや、と描き続けていたんです。
一段落したところで、またその警官が来て
『終わったか?』
『はい』
...また向こうで交通整理。
そうしたら、途端にブブーッと車が一斉に道に入ってきた」
島村さんが描いている範囲から、警官は"職務権限"で一時、車を閉め出したのだ。
 
人生に疲れたとき、癒しと喜びをもたらしてくれる、絵画や音楽。
市井の人々が、それを生み出す芸術家を愛し、さりげない行動で敬意を示す。
文化が街に根を下ろす、とは、こういうことではないだろうか。
 
そのパリが、今、悲しみにくれている...。
価値観の違いをいとおしみ、人種や国籍を超えて多彩な個性を花開かせてきた都。
いつもの暮らしを取り戻すために、パリの人々は、静かに、懸命に、歩み出そうとしている。