5月21日 ナレーション こぼれ話

バラエティー番組のナレーションは、「若くて元気な声」が求められることが多い。
たまに、「年配の落ち着いた声」というリクエストがあり、私が担当する。
 
声だけなら「若くて元気」にもなれます!と言いたいが、
本当に若くて、いきのいいアナウンサーがたくさんいるのだから、
その分野はもちろん、彼らにまかせたほうがいい。
私は、「年配の落ち着いた声」で、期待に添うようつとめなくては...。
 
その時携わったバラエティー番組は、単発(一度だけの放送)だったが、
好評ならばレギュラー化も考える、ということで、十数人の視聴者モニターに講評をいただいた。
「○○のエピソードが楽しめた」
「△△のエピソードは、途中で飽きた」
「司会者のコンビネーションがいい」
「CMの入れ方に工夫がほしい」等々、
 
さまざまなご意見の中で、ナレーションに関するものは、「落ち着きがあった」と、ひとつだけ。
「もう少し、評価をもらえたらよかったね」と言われたが、私は手ごたえを感じていた。
 
番組の中で、半世紀前に末っ子のお産で命を落とした母親のエピソードがあり、私がナレーションを担当した。
万が一のことを考えて夫と子供達に書き残した彼女の手紙の朗読。
この母親の話に感動した、という視聴者モニターからの反響が数多く寄せられたのだ。
ナレーション、ではなく、愛情あふれる母親の「声」として聞いてもらえたのならば、
きちんと仕事ができていた、ということだろう。
 
自分は黒衣(くろご)となって、話の中の人物がくっきりと浮かび上がるように語る。
アナウンサーが担うナレーションの、ひとつの形だと思う。