9月11日 水脈

インタビューは、井戸掘りにも似ていると思う。
人の心の中にある泉、その水脈を探し、深いところにある水をくみ上げる仕事。
 

 

井戸や温泉を掘り当てようとする人が、地形や地盤など、土地の特徴を調べ上げてから、
第一歩を踏み出すように、インタビューも、事前に、
相手に関する情報を集め、整理して、最初の質問を考え、投げかける。
表情や反応を見ながら、2問目、3問目と話を進め、核心、すなわち、
その人の心の泉のありかとおぼしきところに近づいていく。
 

 

目的地の周りをぐるぐる回るばかりで、「ここだ!」という場所に
なかなかたどり着けないこともあれば、始めにヒットの手ごたえを感じたのに、
話が進むにつれて、かえって肝心なところから遠ざかっていくようで、焦燥感にとらわれることもある。
事前の調査不足か、水脈を探り当てるカンが鈍いのか...。
芸術家の場合、シャイで内面を見せたがらず、自らの泉を隠そうと、
質問をはぐらかす人もいるから難しい。一問一問、小さな賭けをしているような、
トランプのカードを切っていくような感覚...。
 

 

一度だけ、うまくいったことがあった。
20年以上も前、山陽地方のある画家にインタビューしたときのこと。
謙虚で口数の少ない中年男性で、すべりだしは答えるよりも考え込む時間の方が
長かったのだが、あるところから、すうっと言葉が流暢になり、それこそ泉がこんこんと湧き出るように、
自分の制作について、絵描きという職業をえらんだことについて、作品に込めた思いについて、
熱をこめて語ってくれた。
こうなると、もう質問する必要がない。途中から私は、相づちの言葉さえ発することなく、
時折うなずくばかり。「ああ、掘り当てた」と思った。幸せなひとときだった...。
 

 

インタビュアーが要らなくなるのが、最高のインタビュー。
どうすればそこに至るのか、いまだによくわからない。ただひたすら、探し当てよう、と
つとめていると、何十回か何百回に一度、源泉に巡り会える、と不器用な"井戸の掘り手"は思う。
本当に水脈を探す仕事をしている人に尋ねたら、どんな答えが返ってくるのだろうか?