5月11日 明瞭過ぎて

井上ひさし作「吉里吉里人」に、アナウンサーなら思わず吹き出す箇所がある。

日本から分離独立を宣言した、東北の吉里吉里国の、国語習得のための小冊子の一節。

 

「アエイウエオアオ

これをほとんど『ワァワァワァワァワーワーワーワー』としか聞えなくなるまで

何回も繰り返してください。」

 

かつて、人気番組「マジカル頭脳パワー!!」に、「マジカル糸電話」というコーナーがあった。

糸電話を通して、分かりにくい言葉を聞き取り、当てるというクイズ。

言葉を発する「糸電話マン」は、発音のはっきりしない人がいい、ということで、制作現場から「できるだけ経験の少ない新人アナをお願いします」という、珍しい発注が来た。

「君、やってみる?」と、童顔の、ちょっぴり頼りない新人クンを派遣したら、あっという間にクビになって帰ってきた。理由は「言葉が明瞭過ぎて、クイズにならない」

「だったらアナウンサーに頼むな!ウチはベテランも新人も発音は明瞭なんだ!」

と、送り出したアナウンス部デスクが怒っていた。

 

これも昔、ドラマ「池中玄太80キロ」で、旅客機の機内アナウンスを担当したことがある。

「ご搭乗の皆様に申し上げます。当機はまもなく~」と録音を始めたら、ディレクターが、「井田さん、はきはきしていて、アナウンサーとしてはいいんだろうけど、客室乗務員の雰囲気じゃないんだよねェ」

都会的な洒落っ気が足りないということか…。

少し声をくぐもらせて、大人っぽくしてみたら、何度目かにOKが出た。

 

端正で明瞭な発音は、アナウンス研修の第一課だが、それはあくまでも基本の身づくろいで、そこから先、話す言葉をどのように着こなし、時には着崩して、情感も含めた情報を伝えきるかが、アナウンサーの仕事である。

ぼそぼそっと喋っているのに、ちゃんと聞き取れて、リアリティのある俳優さんのセリフ回しを耳にすると、その何分の一かでも身につけたいと、真似してみる。

人の話し言葉にこのニュアンスがあるうちは、AIアナウンサーに人間が取って代わられることはないのではないかしら、と私は思っている。