井上ひさし作「吉里吉里人」に、アナウンサーなら思わず吹き出す箇所がある。
日本から分離独立を宣言した、東北の吉里吉里国の、国語習得のための小冊子の一節。
「アエイウエオアオ
これをほとんど『ワァワァワァワァワーワーワーワー』としか聞えなくなるまで
何回も繰り返してください。」
かつて、人気番組「マジカル頭脳パワー!!」に、「マジカル糸電話」というコーナーがあった。
糸電話を通して、分かりにくい言葉を聞き取り、当てるというクイズ。
言葉を発する「糸電話マン」は、発音のはっきりしない人がいい、ということで、制作現場から「できるだけ経験の少ない新人アナをお願いします」という、珍しい発注が来た。
「君、やってみる?」と、童顔の、ちょっぴり頼りない新人クンを派遣したら、あっという間にクビになって帰ってきた。理由は「言葉が明瞭過ぎて、クイズにならない」
「だったらアナウンサーに頼むな!ウチはベテランも新人も発音は明瞭なんだ!」
と、送り出したアナウンス部デスクが怒っていた。
これも昔、ドラマ「池中玄太80キロ」で、旅客機の機内アナウンスを担当したことがある。
「ご搭乗の皆様に申し上げます。当機はまもなく~」と録音を始めたら、ディレクターが、「井田さん、はきはきしていて、アナウンサーとしてはいいんだろうけど、客室乗務員の雰囲気じゃないんだよねェ」
都会的な洒落っ気が足りないということか…。
少し声をくぐもらせて、大人っぽくしてみたら、何度目かにOKが出た。
端正で明瞭な発音は、アナウンス研修の第一課だが、それはあくまでも基本の身づくろいで、そこから先、話す言葉をどのように着こなし、時には着崩して、情感も含めた情報を伝えきるかが、アナウンサーの仕事である。
ぼそぼそっと喋っているのに、ちゃんと聞き取れて、リアリティのある俳優さんのセリフ回しを耳にすると、その何分の一かでも身につけたいと、真似してみる。
人の話し言葉にこのニュアンスがあるうちは、AIアナウンサーに人間が取って代わられることはないのではないかしら、と私は思っている。