6月11日 中島 芽生

土曜日の秋葉原駅前。
多くの人が、買い物袋を下げながら、観光ガイドを見ながら、携帯の画面を見つめながら、通り過ぎていく広場。
電光掲示板から流れる、派手な映像と音楽。
その一角を歩いていると、雑踏にかき消されながら、たった3人で手作りの看板を持ち、
募金を呼びかける小さな声と、以前よりも少したくましくなった、ある懐かしい顔を見つけました。
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「生きるために、勉強をしなきゃという危機意識がありました」
 
ちょうど1年前に「every.」で取材をさせてもらった、高橋遼平くん。
「子どもの貧困対策法」が制定されることに先立ち行われた内閣府主催の検討会に、
大学生ながら構成員に選ばれたという事で、話しを聞かせてもらいました。
 
第一印象は、真面目でごく普通の大学生。ただ、検討会に参加した経緯を聞いてみると・・・。
父親が経営する会社が負債を抱え、そのことにより父親が自殺したこと。
その後、自己破産し、家を失い、母親は毎日夜遅くまで働いていたこと。
中学生卒業後、就職するか悩んだ末、進学を選び、独学で勉強を続け中央大学に入学したこと。
そして、その経験を自ら声を上げることで、子どもの貧困について知ってもらおうと活動していること。
これまでの経験を淡々と話してくれました。
 
当時について、高橋君は「明日食べるものもなく、将来に絶望していました。」と話し、
そんな状況でも、学ぶことを諦めなかった高橋君の強さに心を打たれたことを覚えています。
 
その取材からちょうど1年が経ったある日、元気にしているかなと、ふと気になり連絡をしてみました。
すると、現在は「子どもの貧困対策センター」という財団を立ち上げるため、
「山手線一周募金」という活動を始めたばかりといった事が書かれていました。
 
「これは会いに行くしかない!」募金活動場所の秋葉原に行ってみると、
以前より少しだけ大人びて、たくましくなった、でも、変わらない真面目で一生懸命な姿がありました。
 
「子どもの6人に1人が貧困であると言われている今、
どれくらいの子どもが、経済的理由で進学を諦めているのかをまずは全国で調査し、
そして、直接支援できるような環境作りに協力してほしい。」
 
活動では子供の貧困の現状と課題、そして自身の体験も話しながら、財団設立のための募金を呼びかけます。
なぜ自らの経験を話すのか聞いてみると、
「実名や顔を出すことで、前よりも話しを聞いてもらえるようになってきていると思う。
それで少しでも子どもの貧困に興味を持つ人が出てきてくれたら。」
 
また、活動を続ける原動力については
「父が命に代えて自分たちを守ろうとしてくれたから、
自分も誰かのために何かをしなきゃという義務感のようなものがある」
そう話します。
 
義務感や責任感から突き動かされ、届けようとされるその小さな声は、なかなか振り向いてもらえず、
見ているこちらが、どうしたら彼らの声に耳を傾けてもらえるのだろうと、もどかしくなるほど。
 
そんな中でも、
ちらっと見る人、
さっと財布を出してくれる人、
応援の言葉をかけてくれる人、
わずかではありますが、輪が広がっていくのを感じました。
 
everyを担当し始めてから1年。取材をする中で多くの方に出会い、お話を伺ってきました。
そんな中で、ふと「あの方どうしているのかな」と思い出すことがあります。
今回の高橋君もその1人。
 
「私たちは当事者にはなれない。けれど、一度関わった以上、他人でもない。」
以前、ある先輩に教えられた言葉の意味を実感します。
これからもひとつひとつの出会いを大切に、
小さな声をしっかりと聞いて、寄り添っていけたらと感じる日々を過ごしています。
 
・・・そういえば、大学4年で、就職活動中の高橋君はなんと記者志望!
だということで、いつか現場で会えたら。考えるだけで少し嬉しくなりました。