アナウンスルーム

アナウンサーが書いたエッセーを公開している「アナウンス部ログ」コーナー。
このコーナーの特別版として、毎週1人のアナウンサーが自由に書いた“マガジンスタイルのエッセー”
をリレー形式で公開していきます。

趣味や仕事について、アナウンサーが思い思いに綴った“マガジンスタイルのエッセー”
あのアナウンサーの意外な一面も発見できるかも!?
毎週金曜日公開です!お楽しみに。

5月18日  新谷 保志

サッカーとの出会いは7歳のとき。
近所に住む仲のいい友達が地元のサッカークラブに入っており、誘われて自分も入団したと記憶している。
名前は確かファイヤージャガーズ。今思うと、意味があるのかないのか、強そうなのか弱そうなのかさっぱり分からない名前だが、実際、チームは弱かった。
4チームしかない市内大会で万年3位。一度だけ神奈川県大会でベスト16まで行ったことがあったが、全国少年サッカーなど夢のまた夢。
強くなりたいという意欲も怪しいもので、キャプテン翼に出てくるようなアクロバティックな動きを友達と練習していたことしか覚えていない。
そんな訳で、ほぼ同じメンバーで結成された中学のサッカー部も弱小。県大会も2回戦かせいぜい3回戦どまり。
しかしそんな中学生でも全国高校選手権には憧れを持ち、当時のアイドルは桐蔭学園の栗原圭介と四日市中央工業の小倉隆史。
高校に入ったら国立を目指す、と、何の具体性もないまま夢に描いていた。
大きな夢を抱いて高校に入学し、部活動は陸上競技部を選択。なぜそういうことになったかはいろいろあるのだが、結果的にはこの選択によりその後の道が決まったといっても過言ではない。競技を通していくつもの素晴らしい出会いに恵まれ、
また、箱根駅伝への想いが元で、日本テレビの門をくぐることになった。

で、サッカーへの情熱は消え失せたかというと、そんなこともなく、高校2年時に始まったJリーグに熱狂することで、むしろ勢いを増す。
やるものから観るものへと変わったサッカー。高校時代、時間を見つけては平塚競技場や三ツ沢競技場へ足繁く通い、大好きだった横浜フリューゲルスを応援した。
しかし、そのフリューゲルスが99年に消滅。99年天皇杯決勝で横浜Fの優勝を見届けて以来、Jリーグへの興味は急激にしぼんで行く。

その年、99年に日本テレビ入社。主な担当競技はプロ野球になる。
サッカーとの接点はというと、代表戦やW杯をテレビで観たり、海外旅行をした際に現地のスタジアムで観戦したり。
そしてたまに草サッカー。完全に趣味として楽しむものとなった。
「仕事にするより趣味にしておいたほうが、純粋に楽しめるよ」、誰かに言われたそんな一言もあり、割り切った関係が続いていた。

しかし、そんな大人な関係が、ついに崩れる時がやってきた。
入社14年目にして新たな挑戦、今年からサッカー実況チームに入ることになったのだ。
4月に言い渡され、6月、いよいよJリーグを初実況。
対戦カードは、これも何かのご縁か、われらがフリューゲルスと合併した横浜FマリノスvsFC東京。
いよいよサッカーとの真剣なお付き合いが復活。
どんな心境かと聞かれれば…、とても楽しみですよ、そりゃ!
とりあえず気持ちだけを前面に出していくので、しばらく温かい目で見守っていただければ幸いです。

今後、クラブワールドカップを中継したり、ひょっとしたらW杯に行ける可能性もあったり…。
夢広がる、35歳の春である。

【去年の春、ロンドン・スタンフォードブリッジにてチェルシー観戦】

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