シンガポールで米朝首脳会談を取材した周AD

2018年7月1日 20:33

史上初、米朝首脳会談の前日。
シンガポール、マリーナベイ・サンズ。
その場にいた私は、汗が止まりませんでした。30度を超える気温のせいでもなく、
報道陣や観光客の異常な熱気のせいでもなく、その理由は一つ...。

【今から金正恩委員長を撮影するのに、
カメラのバッテリーが持たない!!!】

自己紹介が遅れました、バンキシャ!のAD周と申します。
今回、私は米朝首脳会談を取材するため、人生初となるシンガポールの地を踏みました。
会談前日の6月11日。携帯に、「北朝鮮の金正恩委員長が、今からプチ観光するかもしれない」という連絡が入りました。現地時間午後6時10分頃のことです。

急いでマリーナベイ・サンズへと向かいました。
が、このときはまだたくさんの観光客の姿があって、のんびりとした空気しか感じませんでした。
しかし、午後8時過ぎになると、警備員が大勢現れ、ホテルの前に柵が設置され始めました。
物々しい雰囲気に包まれる中、私は柵の目の前に立ち、カメラを構えました。

そうした最中、ふと母娘の会話が聞こえてきました。
「北朝鮮のトップが来るかもしれないよ!すごいことだから見ておいて!」
報道陣だけでなく多くの人たちも注目していました。


金委員長がいつ来るのかという緊張感に包まれる中、"事件"が発生しました。
カメラの液晶パネルの右上に、「バッテリー残量58分」の文字が!
さっきまで、満タンだったのに...。
私は心の中で叫びました。金委員長!あと1時間以内に来てください!

バッテリーを少しでももたせようと、恐る恐る、いったんカメラの電源を切りました・・・



午後9時47分。
その車列がホテルに到着。
みな同じような髪型をしたSPが車から続々と降りてきました。

そしてついに、
金正恩委員長がやってきました。

もちろん、私は初めて見る生の姿です。  



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【私の目の前を金委員長が】


しばらくして、あのマリーナベイ・サンズの屋上プールを観光した金委員長が、
再び無数のフラッシュを浴びながら現れ、そして車に乗って去って行きました。


確認すると、カメラにはしっかりと金委員長が写っていました。
同時にそのとき画面に表示されていたのは、赤い文字で書かれた警告。

【残量8分。】

バッテリー、よく頑張った!!!

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【金委員長も見たと思われるシンガポールの夜景】


生で金委員長の姿を見られてよかったです。
いろいろな意味でドキドキハラハラした夜でした。

「フェリー人気が復活」企画を取材した小林AD

2017年10月26日 18:06

初めまして。今年の6月からバンキシャ!に配属になりました。
ADの小林です。

今回は8月13日に放送した"フェリー人気が復活"という企画について
書かせていただきます。

私は大分~神戸を結ぶフェリーの取材を担当しました。

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大分~神戸間が「弾丸フェリー0泊3日 往復10000円プラン」という
思わず目を引くキャッチフレーズ。
飛行機や新幹線ならもっと費用がかかるところ、フェリーなら宿泊もできてこの価格!
今回のコースの他にも大阪~別府、大阪~志布志のコースもあるんです。

ホテルの予約も取りにくくなってきているというこのご時世。
そんな方々にもぴったりなのがこのフェリー旅なのです!

出発地、大分港へ向かおうとしたところ
ちょうど取材期間がお盆のピーク!東京から大分行きの飛行機が取れない...
結局長崎を経由し電車を乗り継いでなんとか大分へ到着。
そこで笑顔が素敵な女子高生2人組に出会いました。

いきなり話しかけたのに、嫌な顔一つせず笑顔で対応してくれました。
快く密着取材もOKしてくれた2人。まるで天使。

話を聞いてみると2人は幼なじみで、次の日の甲子園を観に行くためこのプランを予約したそう。
現役の野球部マネージャーと野球経験者という本格的な野球好き!

そして午後7時30分 フェリーに乗船!

船内はこんな感じです。

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豪華な船内に2人も大はしゃぎ。

放送では紹介できませんでしたが、キャラクタールームやペットと一緒に宿泊できるウィズペットルーム、アメニティセットなどが用意されているレディースルームなど、バラエティ豊富なお部屋がたくさん!

彼女たちは乗船前に夜ご飯とおやつを準備していたようで、
部屋に入るなり2人で仲良くお菓子を食べていました。その姿にほっこり。
船内で外の景色を眺めながら夜ご飯を食べることも可能です!

船内の共有スペースには売店や自販機もあります。
仲間とゲームで盛り上がったり、
移動時間も有意義に過ごせるのがフェリーの魅力の1つだと思いました。

フェリーに乗ること約12時間、神戸に到着。
彼女たちのお目当て、甲子園球場へ!
彼女たちは人生で初めての甲子園だったそうで、
「やばい!甲子園!」と終始興奮気味。

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※敷地外です

観戦を終えた2人はお土産屋さんへ。

友達の分までといってかなりの量を購入していましたが...
「フェリー代が思ったより安かったから、お土産代に回せた!」
とのこと。
これも弾丸フェリー旅のメリットのようです。
その後2人はショッピングでデパートへ。
バンキシャは一足早くフェリーに戻り2人の帰りを待ちました。

戻ってきた2人は疲労でぐったり
1日楽しんだ証拠ですね。

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卒業旅行でもまたフェリーを利用したいと言っていた2人。
今回はとてもいい思い出になったそうで、私までとても嬉しい気持ちになりました。
お別れの時は非常に寂しい気持ちでしたが...。
またいつか会える機会があったらいいなと思います。

今後はプライベートでフェリーを利用したいと思った小林でした

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九州北部豪雨を取材した小枝AD

2017年8月14日 13:39

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バンキシャADの小枝です。
7月9日の「九州北部豪雨」の中で放送した、
福岡県・東峰村の自衛隊密着取材。その取材を担当しました。


自衛隊到着翌日の東峰村。
朝5時、役場から出てきたのは数十台の自衛隊の車両。
孤立状態の集落に向かう

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バンキシャ!は特別な許可を得て同行できることに。

走ること10分。見えてきたのは大量の土砂で被われた県道。
この道は村内の主要道路の1つ、村の東部と南部をつなぐ唯一の道路。
しかし、この土砂崩れで車両の通行が不可能となり、
村内の一部集落が孤立状態となっていた。
道路一面を覆う土砂。ここから先は歩いて行くことに。
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「前進開始!」
しかし土砂が雨でぬかるみ、簡単にはこえることはできない。
危険だがしかたなく倒木や倒壊した家屋を足場に進む。目指すは孤立状態の集落。
隊員の通った跡を頼りについて行くが、不安定な足場で思うように歩けない。

途中、足を滑らしぬかるみへ。一気に膝下までずぶずぶと沈むほどの土砂に困惑した。
なんとか抜けだし土砂をこえるも、その先には豪雨の影響で崩壊した道が。
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崩壊した道の横には濁流が流れる。一歩間違えば落ちかねない危険な道に足がすくむ。
雨脚が強まる中、カメラを回しながら2時間ほど歩くと、驚くものが見えた。
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それは、高さ3m以上はあろうかという流木の山。
これまでに見たことのない量の流木が絡み合っていた。
その大きさを目の当たりにし、自然災害の恐ろしさに息を呑んだ。

しかし自衛隊員は流木の山の上に果敢に登り
流木の間に安否不明者がいないか確認していく。

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「誰かいませんかー!」
「持ち場を替えてもう一回!もう一回捜索!」

人命救助において、人が水や食料を口にせずに
命を維持できる限界の時間とされる、いわゆる「72時間の壁」。
その壁を前に、必ず探し出すという強い意志で活動にあたっていた。


3時間後目指していた集落に到着。
バンキシャ!は、孤立状態の80代の夫婦に話を伺うことができた。
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自宅は浸水などの直接的な被害はないものの、
豪雨の影響で、水と電気が止まっており、
山の湧き水を煮沸して飲み水にし、
ろうそくの明かりと懐中電灯でしのぐ生活をしていた。
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気丈な笑顔を見せてくれるときもあったが、先の見えぬ現状に不安を口にしていた。
取材をするほど、豪雨が奪っていった人命や人々の生活が見えてきた。

被災して今何が必要かとたずねると、
「通信設備も被害にあい、電話がつながらない。」
「家族に無事と言うことを伝えたい。心配しているだろうから。」

孤立状態になり、生活もままならない中でなお、
安否を心配する家族を想う姿に胸を打たれた。


多数の人命を奪い、住民の生活を奪った今回の豪雨。
重機が無ければ到底動かす事ができない流木や岩が散乱する現場を前に、
テレビに携わるものとして、また個人として、いま何ができるのか、
そして今後何ができるのか、考えさせられる取材になった。


熊本城中継

2017年5月8日 15:49

バンキシャ!ADの船越です。
今回は、4月16日の放送で行った、熊本城からの生放送についてお伝えします。

昨年4月14日に起こった前震と4月16日に起こった本震と、二度にわたり最大震度7を記録した熊本地震。
地震の影響で、熊本県などで人的被害や建物の崩壊など様々な被害を及ぼしました。
本震からちょうど一年となった4月16日の放送では、特別に許可をいただき、復興のシンボルでもある熊本城から生放送を行いました。
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自分自身、熊本城へは10年前に中学校の修学旅行で訪れて以来の訪問となりました。
当時、初めて生で見る大小2つの天守閣や立派な櫓に感動したのを今でも覚えています。
しかし、今回訪れた熊本城は当時見た様子とは大きく様子が異なり、地震による被害の爪痕が多く残っていました。

今、熊本城は、地震で大きな被害を受け、石垣などの崩落や建物のひび割れなどが至るところで起きていました。
そのため、改修工事が行われており、現在城の近くへ立ち入ることはできません。
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中には、石垣の多くが地震によって崩れてしまい、残されたわずかな石垣によって支えられている櫓もありました。

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その他にも多くの場所で、地震による影響が残っていました。
400年以上建ち続けてきた熊本城が、このような形になってしまった様子を目の当たりにし、自然災害の恐ろしさを改めて痛感させられました。


今回の生中継では、熊本城の現状を撮影するために多くの特殊な機材を使用しました。
まず、この巨大なクレーン。

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このクレーンは九州で一番長いのもので、その長さは最長でおよそ17メートル。
これだけ大きなクレーンを、高さや長さなどを調整しながら操作します。

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さらに今回は、熊本城からの生放送では初めてドローンでの撮影許可をいただきました。
ドローンの操縦や撮影を行うのは、日本テレビのドローン班。

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生放送というミスが許されない状況の中、瓦が落ち屋根のコンクリートがむき出しになっている天守閣やおよそ2100個の崩れた石垣の石が並べられている様子を上空から撮影、普段見ることができない角度から見ることができました。

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今回熊本へ行き、市民の方とお話しする機会がありました。
熊本城について尋ねると、「熊本城はみんなにとってのシンボルだから早く再建し、復興の象徴になってほしい」とおっしゃっていました。
「シンボル」という言葉の通り、現在立ち入りが制限されている場所が多くあるにも関わらず、城の周辺には多くの人が足を運び、遠くに見えるその姿を目に焼き付けていたり、写真に収めていたりしていました。

昨年、地震発生から約一ヶ月のタイミングで取材に行かせていただいた際は、地震発生から間もないということもあり、建物の倒壊や道路の亀裂などが多く見受けられました。
映像などでは何度も目にしていましたが、実際に見ると、あまりの衝撃に言葉が出なかったのを覚えています。

約一年ぶりに熊本を訪れ、前回に比べると倒壊した家屋が減っていたり、道路も整備された場所が増えていたりと復旧が進んでいる様子が見て取れました。
しかし一年経った今でも、崩壊したままの建物や「危険」と書かれた張り紙がされている建物があり、復興へはまだ時間がかかることを改めて感じさせられました。

今回、熊本城からの生放送に携わり、熊本地震から一年経った現地の状況を肌で感じることが出来ました。
今後の熊本の復興ために、一人の人間として、報道に携わる人間として、自分には何が出来るのかを考えるきっかけになりました。
自分にできることは本当にささいなことかもしれませんが、これからも熊本の復興のために自分にできることを考えていこうと思います。
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「佐藤一孝さんが見た イスラム国との戦い最前線」を担当した入江AD

2016年12月12日 11:13

バンキシャ!ADの入江です。
私が紹介するのは12月11日のモクゲキシャで放送した
戦場ジャーナリスト・佐藤和孝さんのイラク取材についてです。
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佐藤さんが取材したのはイラク軍などが奪還作戦を展開している、過激派組織「イスラム国」のイラク国内での拠点モスルです。

この2週間、現地から毎日届く映像を観ると驚きや緊張、現実への悲しみに溢れ、、気づいたら画面に釘付けという事が多々ありました。

まず、私はイラクでの「イスラム国」からモスルを奪還する事の重大さもよく分からないような状態でのスタートでした。
26日の取材でその要点を1つ知る事ができました。
「油田」です。
イラクは油田の豊富な国で、特に今回奪還作戦が行われているモスルは油田を持つ地域に位置しています。
「イスラム国」はその油田を占領し、資金源にする事がこの地域を支配した狙いの一つでした。

資金源にする?「イスラム国」から石油を買う人が居る。
その事から私は驚きでした。戦争ビジネスが成り立っている事に気付き、ショックを受けました。

WS000002.jpgWS000003.jpg撮影:藤原亮司

次に驚いた事は、
キリスト教徒がイラクにいたという事です。
イラク出身の通訳さんに初めて知りましたと言うと、イラクは元々キリスト教の国なんだよと歴史を教えて下さいました。
なので、彼らはごく少数ですがとても古い民族なんですよと。
すばらしい・・・なのに画面に映っているのは
破壊された教会、首が落とされたマリア像、遺体が掘り起こされた歴代神父の墓。
強引さに腹が立ちました。
WS000001.jpgWS000000.jpg撮影:藤原亮司

今回佐藤さんは「イスラム国」に支配されていた住民へのインタビューも撮られていました。
その訳を読み映像を観ていると、
こんな遠く離れた国で、パソコンで映像を見ている私なんかが悲しく怖いのなら
故郷を追いやられた難民の人達はどんな気持ちなんだろう。
そういう気持ちでいっぱいでした。

「イスラム国」に占拠されていた自分の家に帰るのはどれだけ気持ち悪かっただろうか?
どれだけ怖かっただろうか?苦しかっただろうか?悲しかっただろうか?悔しかっただろうか?

OA中にもあった、
「イスラム国」戦闘員の骨を蹴る行為や
遺体を放置しているモスルの人達の遺体の扱いには、
「イスラム国」への大きな憎しみが込められているように感じました。

自分では到底行く勇気もないような危険な地域から送られて来る「戦争」の映像は、
思っていたよりも映っている現実が壮絶でした。
今回この企画をまとめていた担当ディレクターが
「このときどんな気持ちで撮っていたんだろうと思うと・・・」と戦闘シーンを観たあとに仰っていました。今回取材していた佐藤さん達の事です。

私は佐藤さんが帰国された後に、お話を聞く機会がありました。
そこで印象に残っている事があります。
「戦闘の前線を取材しないと、難民の人達の話なんて聞けない。
 あの恐ろしさを知らないで、彼らの話を聞くことは出来ない。」と難民の話の時に佐藤さんが仰っていた事です。

WS000006.jpgWS000007.jpg撮影:藤原亮司

佐藤さんは何を思い「戦争」を取材してきたのか?

まだ正直全ては分かりませんが、とても強い気持ちで撮っていた何かをほんの少しだけ分かる事が出来たような気がしました。

と言っても、まだまだ考えさせられています。