真相報道バンキシャ!

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2011年3月22日

東日本大地震・岩手県内を取材した稲垣AD

お久しぶりの「ADは見た!」です。

未曾有の被害、東日本大地震。みなさんはどのような思いで過ごしていますか。
バンキシャ一同も、「何かできることを」という思いで日々取り組んでいます。
僕も今回岩手県内の取材に行きました。ここでは、放送でお伝えできなかった部分をご紹介します。


金曜日、向かったのは岩手県陸前高田市小友町の新田(にいだ)という地区。
津波で流された瓦礫や土砂で道路がふさがり、地震発生から5日間ほど孤立していた場所です。

地区へ通じる唯一の道。コンクリートも所々はがれているので、慎重に車を進めます。
窓から脇を見ると、道と垂直に走っている線路が、完全にねじれ曲がっていました。
渡りきって脇道を100mほど登っていった高台に、避難所となっている数軒の民家がありました。
この辺りでは、家を失った方など約140人が集まり、共同で生活しています。
道路の開通後、救援物資も届けられていますが、電気・水道はまだ復旧していません(18日時点)。
そのうちの一軒、30人ほどが寝泊まりをする民家を取材させてもらいました。

人数も多いので、高齢の方以外は日中屋外で過ごしていました。
大人たちは、他の避難所のボランティアや親戚・知人の安否確認などに出向く方も多いですが、夕方には戻ってきます。
周辺の木々から切り出した薪を割り、たき火を囲んだり、夕食の準備をします。

*たき火に薪をくべる男性
「夜は本当に寒い。余震も多く、恐怖症のように目が覚めるんです。」

*干していた衣類を片付けるおばあさん
「服はなんとか足りてるよ、(自宅で)泥の中から拾ってきたから。
 早く仮設住宅に入れれば...ずっとお世話になっているし。」

*夕食の準備をする母親
「子どもたちの環境、寒さと教育をどうにかして欲しい。
 灯油、ストーブが足りないし、風邪が心配。
 家と一緒に教科書などもすべて流されてしまった。
学校の状況も地域ごとで差が大きい。」

また、地区を離れ親戚のもとに身を寄せている女性も訪れました。
安否や、足りない物資の確認をしに来たのですが、ご自身も夫が行方不明のままだということでした。

子どもたちは日に数回、裏山の井戸に水を汲みに行きます。
距離は短い一方、足場が悪く、幼い子にはまだ登れません。
タンクを満杯にし、体全体で支えながら運ぶ後ろ姿は、ふらつきながらも頼もしいものがありました。
小さな畑の横には犬もいて、女の子たちがじゃれあっていました。

*中学3年の男の子
「卒業式はなくなり、進学予定の高校も3階まで波でやられました。
でも同級生がみんな無事で良かった。
野球部でピッチャーをやっていて、高校でも続けたいです。」

午後5時、夕食。献立は、おにぎり一つと漬け物に味噌汁。
先ほどの男の子は「これで十分」と言いました。
小学校低学年の女の子は、他に食べたいものを聞いてみると、少し恥ずかしそうに「いちご」と教えてくれました。

午後6時を過ぎ暗くなると、ロウソクをつけます。
軒下で小さな火に照らされ、周辺の学校に通う生徒たちの安否や、今後のことについての会話が続きます。
僕も聞いていると、一人の女性がふと話しかけてくれました。
「地域のつながりはこれまで薄かった。今はみんなで協力し合って暮らしています。ありがたいです。」


広範囲にわたる深刻な状況の中での人々の生活。
その絆の一端を実感した取材でした。