震災直後に取材したあの人は今③~陸前高田市消防団 大和田祐一さん~
こんにちは。ADの青木です。
昨年の年末に「震災当初に取材した方々は、今どうしているのか?」をテーマに
大和田裕一さんを取材しました。
2011年3月11日。地震が発生。
市内の会計事務所で仕事中だった大和田さんは急いで地元消防団の屯所に向かい
仲間達と共に、水門の閉鎖や消防車の起動作業を行いました。
水門閉鎖後、理由なく携帯電話の動画機能で海の様子を撮影。
その時、地震発生から30分近く経過しています。

すると次第に海の状況が変わり
陸前高田市・広田湾に水門を超える大きな津波が押し寄せました。
目の前に水が迫ってくる現実。大和田さんは消防車に乗り込み
「逃げろ」「波が堤防こえてくるから」と
一刻も早く高台に上がるように住民に叫び続けました。
その時撮影した凄まじい津波の映像は
その後、多くの報道番組で伝えられました。
・・・・・・
あれから、9か月以上経った12月21日。
大和田さんを訪ねました。
大和田さんは会計士として生計を立てる傍ら
生まれ育った陸前高田市の消防団に所属。
米崎分団第一部部長という立場で町を自警しています。
家は津波で流され、現在家族は地元小学校の仮設住宅で暮らしています。

仕事が終わり、地元に帰ってくる大和田さん。
真っ先に消防団の屯所に向かい、赤色灯をつけます。
仮設住宅では食事とお風呂だけで、毎日1人屯所で寝泊まりしているのだと言います。
大和田さん
「いつでも有事の時に動けるように
こうやって屯所の灯は絶やさないようにしないといけない。
なんかそこの扉を開けてね、亡くなった団員が帰ってきそうな気もするしね」
次は誰一人犠牲者を出したくないという思いを話してくれました。
あの時、撮影した津波の映像について聞きました。
大和田さん
「(津波が来る前の)避難誘導も終わっていましたので、
堤防の上でどんなものなのかなって、撮影していたっていうのが本音ではありますよね
しかし、消防団員として防災に携わる者としては、ああいう風に危険な場所に身をさらすというのは
やっぱりやってはいけない行為だったと思う」
大和田さんの言葉からは、自分がもっと出来ることがあったのではないかという
悔しさが伝わってきました。あの津波映像は防災関係の教材にも
使われていく事が決まっています。
最後に2012年を迎える心境を聞きました。
大和田さん
「いろんな形で心に傷を負った人達がね、少しでも
心の安らぎが訪れてくれる様な環境になって欲しいなということ。
仮設もあと1年しか居られないですから、考えなきゃならないんでしょうけどね
判断する材料が乏しすぎます。だからもうちょっとかかるんじゃないですか。
時間経つのは容赦ないよね止まってくれないですよ時間だけは、
我々の頭の中が止まっているだけでね・・・」
年が明けて1月9日、日本テレビの「スッキリ!!」で
大和田さんの息子さんと娘さん(双子)が成人式を迎えた様子が放送されました。
お子さん達からサプライズのプレゼントをもらって笑顔の大和田さんの表情を見れて
本当に嬉しい気持ちになりました。




