2012年8月17日
広島に住む少女を取材した笠原AD
バンキシャ!ADの笠原です。
お久しぶりです。
8月6日、月曜日。
原爆投下から67年を迎えた広島市で
平和祈念式が行わました。
そこで小学生の代表が発表した作文の一節には
こんな言葉が・・・
【ふるさとを離れ、広島の小学校に通うことになった私たちの仲間】
広島の学校に通うことになった小学生とは、どんな子なのでしょうか?
8月10日、金曜日。
バンキシャは、平和への誓いの中にあった広島へとやってきた
ある小学生のもとへ向かいました。
原発事故のあと、福島県いわき市から広島市へと避難してきた
三浦友菜さん、小学校6年生11歳。

仕事で離れられない父を福島に残し、
母と姉妹3人とで広島に住む祖母の元で暮らしている。
転校先の小学校の授業で、原爆について学んだ友菜さん。
作文にふるさと福島の思いを綴っていた。

【幸せな世界】
『皮膚がはがれている人の模型や写真。
目に見えない放射能ってすごい力を持っているんだなと思いました。』
『離れて暮らすことを決めたお父さん、お母さんの気持ちが改めてわかりました』
『戦争をしていなくても放射能のことを心配して暮らさなければならない
今の日本も決して平和とは言えないと思います』
そんな友菜さんの、一番の願いは。
友菜さん
「地震が起きる前みたいに、家族5人が一緒に暮らせる日が早く来てほしい」
震災から1年半近くが経ちますが
家族バラバラで過ごしている人が今もいます。
みんなが幸せに住める日はいつ来るのでしょうか。