【1】プロローグ

第二弾の今回は、昭和の時代、第二次世界大戦前夜の上海を舞台とし、
日本と中国の間の激しく、そして大きく動いた歴史の渦に
巻き込まれ、引き裂かれながらも、強く逞しく生き抜いた女性たちの
数奇な運命にスポットをあてます。
その中心的な人物は「李香蘭こと山口淑子」、
様々なドラマや映画、舞台などで取り上げられている伝説の人物ですが、
現在88歳の実在の人物なのです。
今回は、彼女へのインタビューを含め、彼女のたどった激動の中国での半生を
モデルそして女優として活躍中の渡辺謙の愛娘、杏が旅人となり、

歴史を紐解いていきます。

【2】魔都上海に咲いた花、李香蘭こと山口淑子

現在の「和平飯店北楼」、かつて魔都上海の中心だったキャセイホテル。
近代、国際都市上海は、ヨーロッパのようなモダンな建物が建ち並ぶ中で、その裏に、暗黒街、犯罪、スパイ、
麻薬、ギャンブル・・・
人間の持つ様々な闇を内包する「魔都」と化していた。
このキャセイホテルのダンスホールで、夜に咲く花のごとく、人々の注目を集めていた女こそ、女優、李香蘭。

日本名、山口淑子である。
日本人でありながら、中国人女優・歌手として上海で「花」と謳われたアイドルであった栄光の日々・・・。
終戦時、「売国奴」として逮捕され、死刑判決を受けた絶望・・・。
そしてかろうじて命を拾い、追われるように上海を去った哀しみ・・・。
彼女にとって上海とは?中国とは?
あれから63年、女優が見た真実とは・・・?

その足跡から浮かび上がるもう一人の「ヨシコ」

それが、男装の麗人、川島芳子である。

【3】男装の麗人、川島芳子
スパイたちが暗躍した上海で、一際異彩を放った女性がいる。 男装の麗人、川島芳子。
女性ながら軍服に身を包み、短髪の彼女もまた、 東洋のマタハリと呼ばれた「女スパイ」だった。
愛新覚羅の血を引く清朝の王女だった彼女が、 なぜ日本側のスパイとなり、様々な謀略に手を染めることになったのか? そして戦後、なぜ「売国奴」として処刑をされなければならなかったのか?
そこから浮かび上がるのは、国家利益のために利用され、 国と国の狭間で翻弄された女、川島芳子の姿・・・。
“売国奴”として銃殺刑に処された彼女が最後に残した言葉・・・。
「家あれども帰り得ず 涙あれども語り得ず  法あれども正しきを得ず冤あれども誰にか訴えん」
そこに込められた女の哀しみ・・・・。
今回、番組はアメリカ公文書館に眠る「川島芳子ファイル」を発掘!
彼女の死後、まことしやかに囁かれた生存説をきっかけに、 アメリカの諜報機関が徹底的に調べたファイルに刻まれていた、 これまで語られなかった真実とは・・・?!
さらに、数奇な運命を辿った芳子の実の妹―― 現在、90才になる愛新覚羅顕gさん。
実妹が語る川島芳子、真実の姿・・・・
顕gさんと日本語で話すときは、「お姉ちゃん」ではなく 「お兄ちゃん」と呼ばせていたという芳子。
そして、日本、中国と多くのスパイがいた上海で、 川島芳子とは、まったく逆の立場のスパイの女性がいた。
テンピンルー、 現在、話題の中国を舞台にした映画 「ラスト、コーション」のモデルとなった女である。

【4】日中ハーフの美人スパイ、鄭蘋茹

魔都上海で、川島芳子とは全く逆の立場を生きた女スパイがいる。
上海の女スパイ・鄭蘋茹(テンピンルー)!

ピンルーの父は日本に留学、秋瑾とともに、辛亥革命に熱を入れた活動家。
日本女性と結婚した彼の娘こそピンルーだった。
そう、彼女は日中のハーフだったのである。
自らに流れる日本人の血ゆえにピンルーは、「中国人であると認められたい」という思いから、
川島芳子とは逆に、中国側の女スパイとなった。
その美貌を生かし、いわば色仕掛けで日本人の有力者に近づき、情報を得ていくピンルー。
日本の首相近衛文麿の息子で、父の秘書官だった
近衛文隆を籠絡したこともあった。
そして彼女は、日本側のスパイ組織のリーダーの暗殺を命じられるが、失敗。
その結果捉えられ、わずか26歳という若さで処刑されるのである。

その日「映画を見に連れて行ってやる」と告げられたピンルーは久々の外出に精一杯のおしゃれをし、
化粧をしてクルマに乗り込んだ。
クルマは映画館を過ぎ、そのまま郊外の刑場へ。
ピンルーの後頭部に銃が突きつけられた。
中国人になりたかったピンルーの最後の言葉。
それは・・・・

「私は中国人として悪いことをしたのでしょうか」



【5】日中の架け橋となった愛新覚羅浩

日中戦争の中で、生まれた異形の国家「満州国」。
その異形の国家に運命を狂わされた女性の名は、愛新覚羅浩。
ラストエンペラー溥儀の弟、愛新覚羅溥傑と政略結婚した皇室出身の女性である。
「日中の架け橋」として生涯を閉じた彼女の思いとは?

彼女の足跡も上海に刻まれていた。
侯爵嵯峨家から、愛新覚羅溥傑に嫁いだ彼女。
しかし、太平洋戦争敗戦をきっかけに一家は、突然その絆を断たれた。
ラストエンペラー溥儀と共に拘束された夫。
浩は国民党軍に身柄を拘束され、上海から海路で日本の土を踏むことになるのである。

夫と引き離されたまま過ぎた日々。
しかし、娘が周恩来に「父に会いたい」という手紙を出したことがきっかけにており、浩とその子供が国交断絶状態の中国に入国、溥傑と面会することを認めたのだ。

夫と再会後は北京に居住した浩。そこから、浩の戦いが始まる。
日中の架け橋として、国交断絶状態にあった二つの国をつなごうと奔走するのだ。

そして歴史が変わった。
1972年、日中国交回復。
その後も日中の架け橋として生きた浩は、夫溥傑に添い遂げ1987年北京で死去するのである。