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河井継之助 〜駆け抜けた蒼龍〜
2005年12月27日 21:00〜23:24 放送
河井継之助 … 中村勘三郎
すが … 稲森いずみ
安子 … 京野ことみ
稲葉隼人 … 伊藤英明
小林虎三郎 … 佐野史郎
川島億次郎 … 吹越満
小山良運 … 火野正平
山本帯刀 … 田中実
河井代右衛門 … 北村和夫
貞子 … 淡路恵子
椰野嘉兵衛 … 中村育二
牧野忠雅 … 神山繁
牧野忠恭 … 坂東三津五郎
むつ … 田畑智子
いね … 松嶋尚美
おとき … 吉田日出子
松蔵 … 荒川良々
山田方谷 … 石橋蓮司
鈴木虎太郎 … 中村七之助
古賀茶渓 … 串田和美
土井幾之助 … 笹野高史
加藤一作 … 中村勘太郎
佐川官兵衛 … 六平直政
平山図書 … 中村源左衛門
秋月悌二郎 … 高知東生
牧野市右衛門 … 坂東弥十郎
山本勘右衛門 … 川辺久造
三間安右衛門 … 浜田晃
酒井貞蔵 … 斎藤歩
牧野貞直 … 中原丈雄
三間市之進 … 内田健介
大川市左衛門 … 梶浦昭生
外山寅太 … もとのもくあ
大崎彦助 … 田島俊弥
プラント … ジョージ・エシャート
岩村精一郎 … 中村獅童
坂本竜馬 … 唐沢寿明
市来 … 谷口高史
早川 … 伊庭剛
石田 … 入江毅
都築 … 下元佳好
松代藩兵士 … 平子哲充
二見虎三郎 … 山崎博之
淵辺直左衛門 … 山中正樹
白井小介 … 松井克之
杉山荘一郎 … 正木優希
金森 … 水上保広
井川 … はりた照久
若い侍1 … 池田勝志
若い侍2 … 西村龍弥
役人1 … 立川貴博
役人2 … 内藤和也
侍1 … 加藤正記
侍2 … 東田達夫
ふじ … 渡辺えり子
遣り手 … 松村康世
客1 … 窪田弘和
客2 … 大喜多勝義
長岡藩兵 … 井上将一
従者 … 福寿淳

ナレーター ・・・ 林隆三
脚本:金子成人
監督:松原信吾
   :金田和樹(日本テレビ)
   :佐生哲雄(松竹)
   :原克子(松竹)
歴史監修:稲川明雄
制作協力:松竹京都映画
制作:日本テレビ
   :松竹
河井継之助 〜駆け抜けた蒼竜〜
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 スイスのような平和な中立国家を目指して奮闘した改革者なのか、それとも戦局を見誤り町や民衆を戦火にさらした失政の張本人か――幕末期を生きた越後長岡藩の上席家老・河井継之助に対する評価は、現在でも分かれている。この物語は、日本が近代国家へと生まれ変わる動乱期に、輝かしい理想を抱きながら42年の人生を駆け抜けた河井継之助の怒涛の半生を描いた作品である。

 開国を求める欧米列強の圧力、討幕運動などの未曾有の混乱が続く幕末期、藩政を任された継之助が選んだ方針は、永世中立を国是とする欧州の小国・スイスの生き方であった。越後の小藩・長岡藩は徳川家の譜代であったが、薩長を中核とする新政府軍の江戸進軍が始まるや、江戸藩邸の総引き上げを決定。その際、当時日本に3門しかなかった新兵器のガトリング砲を2門購入し、藩の守りを固めた。

 だが、錦の御旗を掲げた新政府軍に寝返る藩が続出し、その勢力は予想を越える強大なものになった。さらに長岡藩が、それまで幕府側の強硬派・会津藩と親密な関係にあったことから、継之助の理想は揺らぎ始めた。藩内は、新政府への恭順を要求する勢力と、会津ら友藩と連合して戦うべしとする強硬派に分裂し、板挟みになった継之助は、苦境に立たされるのだった。

 果たして、新政府軍に包囲された継之助はどのような方策をとることになったのか、そして、継之助の最期とは―。今年、十八代目を襲名した中村勘三郎が、全身全霊を懸けて主役・河井継之助に取り組んだ大型歴史物語である。

 越後の小藩・長岡藩の河井継之助(中村勘三郎)は、26歳の時、部屋住みの身ながら評定方隋役となり、以後、溢れる才能と豪胆な気性で出世の階段を上り始める。当時の日本は、欧米列強の開国要求と攘夷が渦巻く動乱期。やがて、桜田門外の変、蛤御門の変、長州征伐、薩長同盟、討幕運動と続く歴史のうねりの中、江戸や西国各地を遊学した継之助は、ある理想を抱く。それは、長岡藩を、永世中立によって平和を保つことを国是とする欧州の小国・スイスのような国にすることであった―。
 『明治』が16年後に迫った嘉永5年(1852年)、越後長岡藩の勘定方を務める河井代右衛門(北村和夫)の嫡男・26歳の継之助(中村勘三郎)は、江戸の私塾・久敬舎で勉学に励みながら、迫り来る欧米列強の動きを注視していた。近年、日本各地の港では、イギリス、フランス、ロシア、アメリカなどが開港を迫り、日増しに緊迫感が増していた。翌年、幕府海防掛に任命された藩主・牧野忠雅(神山繁)は、広く藩内の意見を汲み上げようと藩士らに建議書の提出を指示。ただ一人その内容が評価された継之助は、部屋住みながら評定方隋役に任ぜられた。

 長岡に戻った継之助は、妻・すが(稲森いずみ)にこれからの自分の生き方についての了解を取りながら、親戚の小林虎三郎(佐野史郎)、親友の川島億次郎(吹越満)、山本帯刀(田中実)らと論戦を繰り返していた。無条件での開国を主張する虎三郎に対し、継之助は、清国がアヘン絡みで侵略された例を挙げ、開国の前にまず富国強兵をすべきだ、と言い切る。だが、改革推進の急先鋒の継之助を藩の重鎮たちは快く思わなかった。まもなく、藩内の門閥を批判する弾劾文を忠雅に直接送り届けたことなどから、継之助は処罰される。だが、若い藩士たちからは、権威を恐れぬ豪気な男として評判になった。

 忠雅の養子・忠恭(坂東三津五郎)が新たな藩主となった安政5年(1858年)。外様吟味役として国元で辣腕を振るった継之助は、その年の暮れ再び江戸遊学を許され、翌年、陽明学者で財政の達人として知られる山田方谷(☆☆☆☆)に学ぶため、備中松山に出発。この旅で長崎にも足を伸ばした継之助は、信州松代藩士・稲葉隼人(伊藤英明)、土佐郷士・坂本竜馬(唐沢寿明)ほか多くの志士たちと議論を戦わせて江戸に戻った。

 江戸城桜田門外で大老・井伊直弼が暗殺された4年後、さらに出世した継之助は、忠恭が外国事務管掌役を兼任する幕府の老中になったと知り、直ちに辞職するよう上申した。この役を受ければ、海外から武器などを購入し急速に力を付けつつある薩摩・長州らと幕府との紛争に巻き込まれるのは必至。小藩・越後長岡藩が幕府と共倒れすることを何としても防ぎたい継之助は、徳川家譜代という立場を捨てるべきだと考えていたのだ。

 元治元年(1864年)、蛤御門の変、四国連合艦隊の下関砲撃などの大事件が続発する中、幕府は再度の長州征伐を計画し、長岡藩にも出兵を命令。継之助の思惑とは逆に、長岡藩は、500の兵を大阪に送るはめになった。戦局は、坂本竜馬が仲介して成立した薩長同盟が奏効して、幕府軍は大敗。幕府の権威が決定的に失墜したことで、討幕運動は勢いを増した。

 慶応3年(1867年)、幕府が大政を朝廷に奉還する中、家老になった継之助は、新たな藩主・牧野忠訓(☆☆☆☆)の元、藩政と兵制の改革を進めていた。旧幕府や会津藩、桑名藩、松山藩などは、京都に攻め入り、薩長を駆逐すべしと主張。しかし、戊辰の年(慶応4年=明治元年・1868年)に始まった鳥羽伏見の戦いで大勝した新政府軍は、徳川慶喜ら旧幕府軍が大阪城を撤退したことから、錦の御旗を掲げ、江戸へ向けて進軍を開始した。

 旧幕府勢力が次々と寝返るのを見た継之助は、長岡藩を永世中立を国是とするスイスのような国にしようと決意した。そして、藩の兵が西に向かうのを阻止し、江戸藩邸の総引き上げを決めた継之助は、当時、日本に3門しかなかった新兵器・ガトリング砲を2門購入し、長岡に戻って藩の守りを固めた。

 だが、継之助の武装中立の方針に対し、虎三郎は、藩の生き残りのためには新政府軍に従うべきだと反論した。長岡藩と旧幕府の強硬派・会津藩とは、長く深い交わりがあり、今の状況だと、藩を生き延びさせることは困難なのだ。だが、継之助は、3万両の献金と500人の出兵という新政府側からの要求を拒否。あくまで長岡藩を独立させようと考えた。 この年の4月、江戸を制圧した新政府軍は、会津などを中心とする奥州北越諸藩への討伐を開始。長岡藩は、北陸側と信州側から新政府軍に迫られた。藩内では、会津と共に戦うべしとする強硬派と、新政府への恭順を求める勢力が対立し、板挟みとなった継之助は苦悩した。

 まもなく、藩内で思わぬ事態が起きた。なんと会津藩が、長岡藩内にある自藩の飛び地に進駐。その会津軍が、4月26日、小千谷の南にある雪峠で新政府軍と戦火を交えたのだ。継之助は、新政府側と交渉するが決裂。やがて、長岡の町は戦場と化し、家々は戦火に見舞われた。長岡城の争奪戦の中、負傷し、壮大な夢を打ち砕かれた継之助は、やがて、只見の山中でその42年の生涯を閉じた。


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