​ダベアプロフィール

名前 DA BEAR
生年月日 1985年10月13日
(この3日後に阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝するダベア)
出身地 フランス・カンヌ(避暑地と国際映画祭で有名なカンヌで生まれたダベア)
現住所 東京都八王子市(9才からずっと住んでるダベア。
カンヌと180度違うけど暮らしやすい場所ダベア)
血液型 不明(人生においてはひとつくらい謎があってもいいダベア。ボクの場合、それが血液型ダベア)
家族構成 父:ジャン  母:キョウコ (日仏のハーフ&ミックスダベア)
身長 状況に応じて変わるダベア  (人に影響されやすい体質ダベア)
体重 状況に応じて変わるダベア  (人に影響されやすい体質ダベア)
最終学歴 パリ大学卒(生まれ故郷のフランスの大学に留学して、映画学について学んダベア)
性格 基本は陽気で頑張り屋(空回りすることも多い…ダベア)時々、皮肉屋(フランスの血が流れている証拠ダベア)。総体的にはミーハー(「好奇心旺盛」というのが正しいダベア)
趣味 アウトドア系もインドア系もOK。最近は、社会人1年生になったこともあり料理に関心あり(「ABCクッキングスタジオ」に入って女性たちと一緒に料理作りを楽しみたいダベア)
特技 ・誰とでも仲良くなれる
(老若男女国籍問わず。特に子供や女性と仲良くなるのは得意ダベア)
・人を喜ばせること
(ミッキーマウスやベッキーさんのようにサービス精神旺盛を心掛けてるダベア)
・どこででも眠ることが出来る
(これはテレビ業界ではわりと重宝されるダベア)
・ボウリング
(我が家の家訓のひとつ「悩んだらボウリング」。“ピンを倒せば悩みスッキリ”ダベア)
苦手なもの 「待機」(じっとしているのが苦手なので、いつも落ち着きや辛抱がないと言われて叱られるダベア)
「NOユーモア」(とにかく笑いがないと耐えられないダベア) 
「空気を読む事」(昨年帰国してから、やたら「KY」と言われるダベア。でも読めないおかげで結構得することもあるダベア。例えば、合コンで一番モテたり…)
好きな映画 「宮崎駿作品」(特に「魔女の宅急便」は落ち込んだ時は必ず見て励ましてもらっているダベア)
「男はつらいよシリーズ」(主題歌をフルコーラス歌えることが、プチ自慢ダベア)
好きなアーティスト パブロ・ピカソ、サルバトーレ・ダリ、岡本太郎(日本テレビを受けた理由のひとつに、岡本太郎の作品紹介に力を入れていたこともあるダベア)
好きなアイドル 綾瀬はるか(パリ大学留学中に日本の友人が送ってくれたビデオで「ホタルノヒカリ」を見てからゾッコンダベア。足の指だけでティッシュを抜き取る技をボクも練習したダベア)   
好きな番組 「笑点」(「ベストセラーよりもロングセラー」と父がよく言ってるダベア。テレビ界のロングセラーといえば、「笑点」しかないダベア)
好きなブランド 「無印良品」「ユニクロ」(この2つ以外に一体何のブランドが必要なんダベア)
夢・目標 今よりももっと日本テレビを子供や女性から愛される局にすること。
(「そのためにはなんでもする覚悟ダベア!」と面接の時に言ったから、今の自分があるダベア) 
ひとこと 「どんなに経費を削減されても、ボクの情熱は削減できないダベア」

マイ・ヒストリーダベア

1985年~1994年 第1章 『ジュリアナ・ゲイシャ・スキヤキ?』 

フランス生まれと言うと、「え?てことは生粋のパリっ子なんだ。オシャレ~!」と羨ましがられることもあるけど、フランス=パリではないダベア。パリはフランスの一部であって、その他にも日本ではあまり知られてない地方がたくさんあるダベア。ボクが生まれたのは地中海に面するカンヌという町。避暑地と国際映画祭で有名な場所ダベア。そこで高校の美術教師をやっていた父・ジャンと、日本食スーパーの店員だった母・キョウコが出会って、恋に落ちて、その結果、ボクがこの世に誕生したというわけダベア。カンヌには9才まで住んでたけど、なぜか家の中の会話は日本語の方が多かったダベア。それは、パパがママから日本語を教わっていたことが原因。その頃からパパは日本に移住することを真剣に考えていたダベア。寝る前にパパがベッドの中でしょっちゅう言ってたダベア。
「いいか、息子よ。“捜し当てるのはグッドチャンス、巡り会えるのはグッドフレンド、口説き落とすのはグッドワ~イフ”だ。憶えとけよ」後から知ったんだけど、これって日本の偉大なシンガー・矢沢永吉の歌の一節だったんダベア。とにかく親日家のパパのおかげで、ボクはフランスにいながら、ママの国日本をいつも身近に感じていたダベア。そのおかげで9才(1994年)の時に日本で暮らすことになっても戸惑いはなかったダベア。ただひとつ、残念だったのは、楽しみにしていたジュリアナ東京のお立ち台が見れなくなっていたことだけダベア。我が家では日本といえば、なにはなくとも “ジュリアナ”“ゲイシャ““スキヤキ”だったダベア。

1994年~2003年 第2章 『日本、8人の王子様が住んでいた街へー』 

日本での新しい住まいは八王子という場所だったダベア。日本に来る前にママから「8人の王子様が住んでた街」と聞かされていたから、モン・サン=ミシェルの古城を想像していたけど・・・・いい具合に裏切られたダベア。
日本には「住めば都はるみ」という古いオヤジギャグがあるように、八王子という街の空気にもすぐに溶け込めたダベア。小学校も地元の公立小学校に編入したけど、そこでもバッチリ溶け込めたダベア。元々、適応能力が高い方で、友達からは「オマエは新宿二丁目にいたら、すぐオカマぐまになるよ」って言われるダベア。ま、お褒めの言葉と受け止めているけどね。
小学校での思い出といえば、なんといっても「放送部」に入ったこと。ボクが転校してくるまでは、そこの小学校の放送部は、先生が決めた音楽と、必要なインフォメーションだけを流すだけのつまらないものだったけど、ボクが入部してからはそれまでの編成方針(早速、業界用語使ってしまったw)とはガラリと変えたダベア。たとえ、小学校の放送部とはいえ、メディアに携わる者としては、それ相応の自覚は必要だと思ったダベア。だから、ボクは流す曲も、伝えなければならない情報も、すべて自分で選び、自分の言葉で作り上げたダベア。確かに、小学校のお昼休みにレッド・ツェッペリンの『移民の歌』を流すのは刺激が強過ぎたかもしれない(しかし、後に『スクール・オブ・ロック』というアメリカ映画で、名門校の小学生にこの曲を教えるシーンがあり、ボクの方が先を行ってたと確信したダベア…)。また、何か学校で問題が起こるたびに校内の生徒たちにインタビューコメントを撮っては、それをHRで流したのも反響を呼び過ぎたかもしれない。でも、ボクがいろんな改革をしたおかげで、それまでただ退屈な放送部の番組を、とても楽しみにしてくれる生徒たちが増えたのは事実。この時の達成感が忘れられず、大人になったらテレビの仕事に就こうと思うようになったダベア。その後、中学、高校と進んだわけだけど、やっぱり放送部に入って、みんなが楽しめる番組作りに励んだものダベア。また、もうひとつ忘れられない出来事は、あれは確か18の頃、ボクの地元の八王子がテレビ東京の『アド街ック天国』という番組で取り上げられ、なんとボクもちょこっとだけテレビ出演したダベア。
うれしかったのはスタジオに降りた時(また業界用語使ってしまったw)、司会の愛川欽也さんが「今、かわいいクマちゃんが見切れてなかった?」ってコメントしてくれたこと。おかげでボクは翌週の月曜日から学校中の人気者になったダベア。でも解せないのは、どんなに人気者になってもステディな彼女が出来なかったこと。日本の女の子は見る目がないと、いつも愚痴っていたダベア。

2004年~2008年 第3章 『遠くパリから、モナムール・綾瀬はるか』

高校を卒業したボクは、生まれ故郷のフランスのパリ大学に通うことになったダベア。どうしてパリの大学にしたのかって?理由はひとつ、日本の大学に通うと合コン漬けになってしまうから・・・というのは冗談。本当は日本の志望大学の受験に落ちてしまったんダベア。1年浪人することも考えたけど、バパとママの勧めでパリ大学に入ることにしたんダベア。パリの大学は日本と違って入るのはそんなに大変じゃないけど、出る(卒業する)のは大変ダベア。結局、大学出るのに5年かかってしまったんだけど・・・・。大学では芸術学、主に映画について勉強したダベア。映画も昔のようにフイルムではなく、デジタルカメラを用いるようになり、ここで教わった事はテレビの世界でも充分生かすことができるダベア。パリ大学で映画について学んだって言うと、なんかアート系の小難しい感じのと思われるけど、実際は全然違うダベア。カメラ片手に即興で映画を撮ったり、街に出てとにかく面白そうな人や、好みのタイプの女性に声をかけてインタビューしたり、ボクらがやってきたことは極めて日本のバラエティー番組の作りに似ているダベア。
ボクは「とにかく見てくれる人に楽しんでもらう」をポリシーにしていたから、作家主義や芸術至上主義の先生や生徒たちから「商業イズムに支配されている」と非難されることもあったけど、そんなことは屁のカッパ、カエルの面にショウベンだったダベア。“表現者たるもの、打たれ強くなければならない”と、尊敬する先生が言ってたけど、打たれ強さだけならボクは充分に表現者(クリエーター)の資格を満たしていると思うダベア。大学4年の頃、卒業したら日本に戻るか、それともパリに残って映画の勉強を続けるか迷ったけど、結局日本に戻ることにしたダベア。最大の理由は、日本が恋しかったこと。パリに留学中もネットで日本の情報をこまめにチェックしたり、高校時代の友達から日本の映画やテレビ番組を録画したビデオを送ってもらったり…。その時、特にハマったのが、『男はつらいよシリーズ』と『笑点』。どちらも日本に住んでいた頃は見たこともなかったけど、こんなに素晴らしいとは思いもしなかったダベア。そういえパパがよく“ベストセラーよりもロングセラー”と言ってたけど、本当にその通りダベア。そしてもう1本、これは『ホタルノヒカリ』というテレビドラマ。主役の綾瀬はるかという女優にボクは恋をしてしまったダベア。こんな素敵な女優を使って、こんな楽しいドラマを作っているテレビ局こそ、ボクの目指す場所に違いないと確信したダベア。こうしてボクは大学を卒業したら、日本に戻って日本テレビに行くことを決意したダベア。目的はひとつ。日本テレビの社員になるためダベア。

2008年~2009年 第4章 『日本<の>テレビはボクが面白くするダベア』 

日本に戻ってきたボクは、自分に誓った通り日本テレビの採用試験を受けた。そして、念願叶って社員となることが出来たダベア。これも綾瀬はるかちゃんのおかげダベア・・・・と浮かれてばかりはいられない。なぜなら、今、日本テレビ、いや日本のテレビ界は未曾有の危機にあるのだから。不況でテレビの命ともいえる広告費は削減され、それにより制作費も人員もカット。
面白い番組を作るのが難しい時代と言われているダベア。実際、テレビ局の試験を受けることを友達(某大手インターネット企業内定者)に話したら、「何も沈む運命にある船に乗りに行くことはないだろう」と言われたりもしたダベア。確かに、テレビの未来は明るいとは言えないかもしれない。でも、インターネットや携帯がどんなに進化しても、テレビは決してなくなることはないダベア。まだまだアイデア次第ではテレビで面白いことができるダベア。そう、小学生の頃、四畳半くらいの放送室で、どうしたらみんなが喜んでくれる番組が作れるか、知恵を絞ったあの時のように・・・・。
4月から日本テレビの社員となって、本格的にテレビの制作現場に携わっていくわけだけど、どんな小さな仕事でも、与えられた仕事は全力でぶつかっていく覚悟ダベア。また、作り手にまわっても、ミーハーな精神は忘れず、行列のできる場所には進んで並びに行くダベア。そうすれば、きっと何か面白いものに出会える気がするダベア。   

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