浅草海苔の生育環境は、適度の潮の干満と、遠浅で波静かな海面、それと栄養分を大量に含んだ河口の汽水域(淡水と海水が混じり合う区域)が適所とされ、その条件を十分に満たした江戸前の海岸は海苔の生育に最適。そんな事もあり、浅草海苔は江戸の名産品だった。
その名称の由来には諸説あり、大森品川で採取された海苔を浅草で製造した事とも、浅草紙のすき方同様に海苔をすいたからともいわれている。

しかし、現在は高度経済成長の埋め立てで海苔生産の灯は消えてしまったが、大田区と海苔問屋や昔の生産者、漁師さん、他の皆さんが協力して、45年ぶりに子供達の環境学習の一環として浅草海苔を復活させたという。「大森ふるさとの浜辺公園」で栽培されているその浅草海苔を分けて頂いた。ちなみに、江戸前の風味豊かな海産物である乾し海苔は、江戸時代の将軍家やその菩薩寺である寛永寺、そして紀伊、尾張、水戸の徳川御三家へ納入されていたという。