今から300年程前の元禄時代に、明の亡命僧心越禅師(しんえつぜんし)が能見堂から眺めた景色を八編の詩に詠んだのが金沢八景のはじまりとされている。洲崎晴嵐(すざきせいらん)は、洲崎の松並木が風に揺れ、音をたてている様子、乙舳帰帆(おっともきはん)は、乙舳海岸に漁を終えて帰ってくる帆かけ船の景色を描いたもの。
この金沢地区にある「海の公園」は、乙舳帰帆で描かれた場所。横浜市内で唯一、海水浴場のある公園。金沢地区の埋め立て事業の一環として整備された約1kmの砂浜は、千葉県から運んだ砂で人工的に造られたもの。海の公園の貝は当初、有明海から持ってきた稚貝を撒いて繁殖させた。しかし、現在では自然繁殖する様になった為、完全な自然繁殖となっている。
金沢区の柴漁港は、東京湾で最大級の水揚げを誇っていた漁港。昔、柴町は鎌倉時代この地の東方に村落があり、応長元年に津波で民家の多くが流出し、その難を逃れた漁民が良い漁場として転住しここを小柴村として漁業を続けてきた。小柴のシャコと言えば高級品であり、江戸前のシャコは、全てここで水揚げされたものであった。