2014年6月1日 放送内容DASH島 無人島を開拓できるか!?

この日、DASH島に一番のりしたのは、珍しく松岡。
その理由は、以前、完成間近の舟屋で、
城島が階段を付け忘れた時のこと、
急きょハシゴ用にくり抜いた栂の床板を見て
松岡「これ(床板)まな板にしようぜ!」
その事を、誰一人本気にしていなかったのだが、
TOKIOの料理人・松岡だけは違っていた。
まな板は、弥生時代から使われていたとされ、
その“まな"とは“真魚(まな)"、すなわち食べられる魚を表す言葉。
元々は、神様に供える魚を切るための板だったが、
江戸時代に庶民に普及し、欠かせぬ料理道具となった。
そんなまな板を作るには、
松岡「まず、カンナで(板の表面を)磨こう」
さっそく、床板でまな板作りが始まった。
板は大きさ、厚さともに申し分ないが、
表面には、移動や作業で付いた汚れが。
このまま使っては、腹を壊す可能性もあるので、
達也の見よう見まねで、カンナを滑らせる。
デコボコが多少気になるが、これで汚れはなくなった。
そして、さらに料理人・松岡ならではのこだわりが。
板の端に二つの穴を空け、そこに紐を通して、持ち手の出来上がり。
松岡「これで、まな板を掛けられるね」
吊るして干せるため、水切りが良く、衛生的。
そして、最後の仕上げは、命を吹き込む、刻印。
職人が仕事をした証だが、松岡が刻んだ文字は「思い出」。
おそらく、その残したい思い出とは、階段をつけ忘れた城島に
松岡が優しい言葉をかけ、その優しさに城島が男泣き、
さらに松岡・達也ももらい泣きした、あの日のこと。
そんなこんなで、元々は床板だった栂材が、島初めての調理道具に。
と、作ったそばから、もう待ちきれなかった。
松岡「食材採りに行こう」
舟屋のすぐ脇に生える、野草にうるさい松岡のオススメ。
菊の仲間・ツワブキが、旬を迎えていた。
松岡曰く、若い茎を煮ると美味いとのこと。
まずは、まな板に熱湯をかけて、表面を殺菌。
そして、茎を軽く茹でれば、繊維の食感が楽しめるはず。
待つこと5分、歯ごたえを残した絶妙なタイミング。
念願のまな板で、茹で上がった茎をぶつ切りにしていただく。
松岡「やっぱりいいまな板で切ると味が違うね」
あくまで個人的な感想だが、それも手作りまな板の効果か?
そして、この板を使って、今度は、
古井戸の水を基地へ流す水路を作る作業が本格始動。
この日の作業は、まず資材の運搬から。
余った栂の板と、足場丸太をトロッコで、
島唯一の水源、森の中の井戸まで運ぶ。
達也が数カ月かけて、再生させた古井戸。
この井戸水を、基地の舟屋で生活水として使いたいが、
450mを人力で運ぶのは、かなりの重労働。
そこで、井戸から舟屋まで、水路を引くと決めた。
目指すは、江戸の町でも使われていた、木製の水路“木樋(もくひ)"。
それは12年前、DASH村でも経験済み。
70mほどだが、流した水で水車を回すことにも成功していた。
運び込んだ丸太と板で、まずは手始めの12m。
丸太で土台を組み、その上にコの字に組んだ木樋を設置する。
しかし、その前にやらなければならないことが。
達也「(地面の)水平を確認しようか」
地面が下り坂になっていれば、大きな苦労もなく、
水路の水は流れていくが、上り坂の場合、水は逆流する。
これを調整するためには、まず、地面の勾配を確かめねば。
そこで、竹竿の先に、漂着物のブイを付けた器具をこしらえた。
江戸時代に行われていたとされる、“提灯測量"という方法。
遠くから、横に並んだ提灯の高さを比べ、土地の勾配を確認できた。
つまり、ブイを提灯に見立て、まず基準となる高さを決める。
ブイが、その高さより上に見えれば、その間は上り坂、
一方、下に見えたら下り坂、ということが一目瞭然。
さらに、微妙な勾配を確認するために、
達也が、余った材料で手際よく作ったのが、
提灯測量に使われる、水準器。
丸い板に水平に渡した横木、鍋蓋のような形状だが、
水を張ったタライにこれを浮かべれば、どんな場所でも水平を測れる。
それを使い、ブイを真横から見ることで、
肉眼では分かりづらい、わずかな高さの違いを確認することができる。
しかし、今回は森の中での測量。
ブイを横から見るには、竹竿は木を超える3mの高さに。
達也も、脚立に上がって、水準器を覗く。
水準器の先端を1つ目のブイの高さに合わせ、
順番に他のブイを見ていく。
達也「緩やかに(ブイが)下がってるね」
つまり、スタートから10mほどは、緩やかな下り。
これなら水は流れやすい。そこで、まずは木樋を支える土台を丸太で
組み上げる。重さのかかる部分は、“傾ぎ大入れ(かたぎおおいれ)"という組み方。
一般的な組み方だと、重さを支えるのは、ホゾの下の部分だけ。
しかし、傾ぎ大入れの場合、柱に斜めに食い込んだ分だけ、
重さを支える部分が増える。
これで荷重が分散し、強度は十分。長い年月耐える水路になるはず。
達也が、横木の部分を仕上げ、
1年半の開拓で腕を上げた城島が、重さを支える切り込み部分を。
無事にホゾも噛み合い、この土台の上に木樋を載せる。
あとは、これを立てるため、根元の部分を、鋭く尖らせる。
この土台をはね釣瓶の近くに立て、そこが水路のスタート。
そして、地面に土台を打ち付ける道具は“建前(たてまえ)かけや"。
舟屋でも使った木槌の一種で、
高い梁や柱も下から叩き下ろすことが出来る。
これで、まず1組目の土台を打ち付ける。
そして、2組目はその4mほど先に打ち込むが、
達也が再び水準器で確認しながら、
水が流れるよう、1組目の土台より、わずかに低く立てる。
とはいえ、単純計算であと110組必要。
気の遠くなる作業だが、一本一本手作業でやるしかない。
そして3時間後、ひとまず土台を4組、およそ12mが立った。
ここまで来たら、一度試したい。
達也「器(木樋)作ろう」
木樋は、余った床板で板を3枚、コの字型に組み合わせる。
だが、底板を挟む形で合わせると、わずかなすき間でも、
水は重力に逆らうことができず、漏れてしまう。
そこで、底板に載せる形で合わせれば、
隙間ができても、水は横方向には漏れにくい。
これは、江戸時代の水路にも使われていた知恵。
松岡「一回(木樋を土台に)乗せて、水流してみない?」
気は早いが、まずは出来た一組で実験。
達也の測量が正しければ、わずかながら下っているはず。
目視では、先に行くほど、上がっているように見えるが、
試しに一杯のバケツの水を流してみる。
すると、見事、流したい方向に、水は流れた。
達也「水は正直だからね」
木樋から水が漏れることもなく、続いての作業へ。
木樋をつなぐ部分にも加工が必要だった。
接合部は、板の重なる部分を互い違いに削る“相かき継ぎ"。
こうすることでつなぎ目はジグザグに噛み合い、
継ぎ目から、水が漏れにくくなる。
3組を一気に仕上げ、
相かき継ぎが噛み合えば、木樋はどんどん伸ばせる。
そして、わずか12mだが、一日かけて作った水路。
こうなれば、試してみたい。
城島「途中の接合部分で水が漏れへんかどうかやね」
そう、問題は木樋の継ぎ目。
水は、漏れること無く2か所のつなぎ目を通り、
12m先まで流れ着くのか。
さっそく、バケツ一杯の水を流してみると、
しっかりと噛み合ったはずの継ぎ手から、まさかのだだ漏れ。
しかも、1か所だけでなく、2か所とも。
松岡「(漏れ方が)雨みたいだもん」
一体、何が原因なのか?
作り始めたばかりの水路、まだ課題は多い…。
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