2015年3月22日 放送内容DASH島 無人島を開拓できるか!?

日増しに寒さ和らぐDASH島。
この日も浜で、作業は始まっていた。
去年の夏、台風の高波で地面がえぐられ、線路が宙づりの状態に。
そこで、波に耐えうる丈夫な石橋が必要と、
城島が江戸時代からの石の街・長崎県諫早市へ。
石橋の本場で良質な石を採石、職人たちに石の技術を学び、
城島自ら加工した石材をDASH島に運び込んだ。
しかし、1つ60kg以上の石材、運ぶのにも一苦労だった。
一度にトロッコの荷台に載せた石材は、3つで約200kg。
朝から既に2往復、洲の付け根の仮設橋へと運ぶ。
と、快調に走っていたトロッコが突如、脱線。
達也「何かに乗り上げたか?」
原因は、レールの上に波で打ち上げられた流木。
もう一度、4人がかりで石材を載せ直す。
レールに枝や石があるだけで、再び脱線につながる。
達也が前方を確認しながら、慎重にトロッコを走らせる。
そして、すべての石材を仮設橋の位置まで運び終え、
城島「この石を仮設橋の下にアーチ状に積む」
つまり、石橋をえぐられた地面の代わりにするのだが、
松岡「もろい地盤だね」
その地盤は、波で崩された瓦礫が溜まり、
石と土混じりの弱い地盤。
強度に不安が残るが、既に手を打っていた。
島に上陸したのは、城島が長崎で教えを請うた、
石工一筋・25年、藤本昇(のぼる)さん。
全国でも数少ない、国の認定を受けた重要文化財の修復技術員。
そんな石のプロに協力をお願いしていた。
と、同じく石工の河本さんが、一目で見抜く。
河本さん「まず地面の高さを水平にしたほうがいい」
石のプロが言うのは、石を積む地面のこと。
石橋は、輪石を積み、最後に要石。
これだけでも支え合い、崩れないのだが、
DASH島のようないびつな地形では、
重さのバランスが崩れ、崩落の恐れが。それでも、
藤本さん「輪石の位置を水平にすればなんとかなる」
つまり、地面を平らにしつつ、石橋の敷地を確保。
それから土台を置き、輪石を積み、さらに壁石。
しっかり整地がされていれば、土台を抜いても崩れることはない。
藤本さん「(整地は)掘る作業から」
石橋の全長は、10m。
線路だけでなく、水路が載ることも想定し、幅は2mに。
掻き出す石は、推定3t!
藤本さん「石に土が混ざっとる」
線路を支えてきた地盤は、長い年月をかけ、
波に打ち上げられて、堆積してできたもの。
打ち付ける波で、水を含めばさらに緩くなる。
人力で3tの石を掻き出す、終わりの見えない作業。
2日目の作業には、スタッフも加わり、
パワーが自慢・AD足立がグイグイ引っぱり、
寡黙な男・AD北村も、ペースを乱さず続く。
と、埋まっていたのは、重さ30kgはあろうかという木の根。
ここは、怪力AD足立が、掘り起し、引きずり出す。
体力自慢の足立も、思わず座り込むほどの作業だった。
3日目、石橋の敷地いっぱいだった石も、残りわずか。
壁石を積んでいく場所、できるだけ垂直に、そして、地面は水平に。
のべ30人で、およそ3tの石を掻き出し、
やっとのことで、線路を支える石橋の敷地を確保。
地面も平らに整地し、石を積んでも崩れる心配はない。しかし、
藤本さん「石の地面だと、アーチにした時に輪石が逃げる恐れがある」
輪石は、その重さだけで支え合っているため、
地盤が緩いと、開こうとする力に耐えられず、崩れてしまう。
DASH島は、片方が護岸された土手。
これならば、輪石を押さえ、重さで開く心配はないのだが、
もう一方の側は、緩い地盤。
この石と土では、掛かる重さに持ちこたえられない。
こういう場合、一般的にコンクリートで基礎を固めることが多いが、
ここは無人島、ある材料を使って、
藤本さん「代わりに枕木と足場丸太を埋めて固める」
それは、江戸城にも使われた基礎“梯子胴木(はしごどうぎ)"。
軟弱な地盤に、石垣などを築く時の技術。
穴太衆(あのうしゅう)という、石工の集団が編み出したという。
これを、護岸されていない側に埋めることで、
地盤の不安は解決するというが、
藤本さん「枕木と足場丸太を交互に重ね合せて置いていく」
つまり、石橋の石を置く地面に穴を掘り、
そこに、枕木と丸太を番線で止めながら、ハシゴ状に組んでいく。
まず、四角形に、ある程度の深さの穴を掘る。
と、松岡が石の中から見つけたのは、骨らしきもの。
松岡「オットセイのヒレ?ウミガメのヒレ?」
長瀬「肩甲骨みたいな形」
どうやら、大型のほ乳類のもののよう。
まだ見ぬ生物が、この島に潜んでいるのか…。
しかし、今は石橋の作業が優先。
穴を掘ること30分。
幅1m、奥行き2m、深さ30cmほどの穴が。
藤本さん「これくらいでいいと思います」
しかし、基礎を置く前に必要なもう一仕事。
胴突きという道具で、地面を叩き、押し固める。
14年前、DASH村の母屋の基礎固めをした時にも経験していた。
このとき学んだ建築の基本を、無人島で。
強く打ち付けるほどに、地盤は固まる。
こうして地固めが済めば、石の重さが掛かっても、
これ以上、地盤が沈むことはない。
そこで、穴の中に枕木と足場丸太を組んでいく。
まずは、枕木を等間隔に並べたら、足場丸太を番線で固定していく。
枕木一本およそ20kg、その重さが地盤固めにも効いてくる。
こうして、枕木と足場丸太で組んだ梯子胴木が完成。
この上に輪石が載るのだが、
梯子胴木にすき間を作ったのには訳があった。
藤本さん「梯子胴木を砂利と石で埋め戻しましょう」
地固めをした穴に梯子胴木を入れ、大小の石ですき間を埋めていく。
そうすれば、沈まないばかりか、横ズレもしにくい。
しかし、掘り出したのは大きい石ばかり。
そこで、石橋予定地から洲を越えた裏側、
距離にして50mほど離れた浜で、細かい石を調達する。
浜が変われば、波や風も変わる。
長年かけて、この浜に堆積したのは細かい石。
これを100kgほど持ってきたら、
まずは、基礎の中に、大きめの石を詰めていく。
続いて、そのすき間を埋めるように、細かい石を。
そして、再び大きな石を入れ、また細かい石を敷き詰める。
これを繰り返し、最後に、
藤本さん「この基礎の上に土を撒いて水をかける」
そうすることで、溶け出した土の粒が、
石の細かなすき間にも流れ込み、一段と固い地盤となる。
さっそく、掘り出したばかりの土をかぶせ、
基礎の番線が錆びないよう、海水ではなく、
汲んできた井戸水をかける。すると、
長瀬「締まったね、全く動かない。やっと地に足が付いた気がする」
石橋は始動から2か月、ようやく基礎が固まった。
そして、寒さ厳しいある日。
作業の前に、体を暖めようと城島が煮出していたのは、
城島「島のキノコのミックス茶」
準備を始めたのは、数日前のこと。
城島は一人、キノコの図鑑を読みふけっていた。
一昨年のこの時期、山には食べられるキノコだらけ。
しかし、知識が足らず、手を出せずにいた。
城島「毒キノコは気を付けなあかんからなあ」
キノコ図鑑でしっかり勉強し、いざ山へ。
さっそく、見つけたのは“アラゲキクラゲ"。
市場に出回るのは、ほとんどが外国産。
国産の天然ものはなかなか見つからない。
そして、続けて発見したのは、“サルノコシカケ"。
猿が座る椅子の様に見えることから、その名がついた。
古くから生薬として知られ、無毒。
乾燥しているように見えるが、年々成長を続け、
大きなものでは1mを超えるサイズに。
しかし、見つけたのはまだ小さい。
城島「採るべきか、育たせるべきか、悩むとこやな」
と、すぐ横にもっと大きな“コフキサルノコシカケ"が!
20cmの推定10年もので、裏が真っ白、状態がいい証拠。
さらに、そばにあったのは“カワラタケ"。
以前も見つけていたカワラタケ、実はサルノコシカケの仲間。
生える様子が屋根瓦に似ていることからその名がついた。
無毒なうえに、お茶のように飲む地方もあるという。
他にもキノコを使ったお茶はさまざまで、
霊芝茶ならば、国産のもので500g / 2万円ほど。
この日採れた、アラゲキクラゲ、コフキサルノコシカケ、
カワラタケは、すべてお茶にできるものなので、
この3つののキノコをミックスしてキノコ茶に。
まずは臼に入れ、杵で叩き潰しながら、細かく砕く。
城島「(サルノコシカケ)断面が木みたいなやな」
あらかた砕いたら、お湯で煎じて、キノコのエキスを抽出する。
煮出すこと10分、水を吸ったキノコが沈み、
滲み出すエキスと香り。
さらに20分後、見た目は不安になるほどの黒さだが、肝心の味は…
城島「意外にスッキリしてて飲みやすい」
城島の舌はそう感知したが、
達也「苦ーっ!炭かじってるみたい」
個人差は大きいようだ。
そして、季節は戻り、去年の夏。
達也がこれまでの海中の映像を、確認している時のことだった。
水深10m付近で、40cmほどのイシダイと比べても、
2倍はあろうかという、大きさの魚影が。
その姿は霞んで姿ははっきりしないが、
突き出た額と顎など、その特徴から潜水士・達也は分かった。
達也「間違いなく、コブダイだ」
まさにコブがシンボルで、ベラの仲間で最大級のコブダイ。
別名「海の主」とも呼ばれ、
新潟・佐渡島には体長1mにもなる大物も。
「弁慶」の名で親しまれ、世界中のダイバーにも知られている。
オスはそれぞれ、岩場などに自分の縄張りを持つ。
強面だが、穏やかな性格で、人懐っこい一面も。
佐渡の人々は、弁慶以外のコブダイにも名前を付け、
七夕には、海の中に短冊を飾り、共に過ごしている。
映像に映ったのがコブダイならば、ここが縄張りなのか。
そこで達也が、島の南の突端、その場所へ潜って探ることに。
水中映像に映っていたのは、水深10mあたり。
そこで見つけたのは、巨大な岩。
コブダイの縄張りは、こうした大きな岩のまわり。
そして、岩のすき間をねぐらにしている。
素潜りのため、何度も息継ぎをしながら、その痕跡を探す。
コブダイが好む、岩のすき間を中心に見て回ると、
そこには、岩穴を寝床にするメバルや、岩と同化したマダコの姿。
と、その中に、何者かによって剥がされた貝の殻を発見。
それは、これまで達也が何度も獲ってきた、島の夏の定番・イワガキ。
通常は、岩に張り付き、殻を閉じた状態。
これまで達也はここでイワガキを獲ってはいない。
となると、相当な大物が、固く分厚い殻を噛み砕いたということか。
さらに、その近くには、白いサザエの貝の破片が点々と。
つまりは、サザエを丸呑みにできる者の仕業ということか。
もし、コブダイだとすると、魚影が映った近くの巨大な岩から、
イワガキの残骸があった、エサ場らしき場所まで、
その範囲に、コブダイが潜んでいる可能性が。
この日は3時間潜り続けても、姿を見られなかったが、
達也「たぶん主(コブダイ)いるね、形跡がある。会いたいな」
そこで、日を改め、達也は新たな方法で、再び調査を始めた。
イワガキの殻があった、エサ場と思われる一角。
ここに、水中カメラを石で固定し、大物を映像でとらえたい。
さらに、この日は、城島も調査に加わった。
城島の仕事は、サザエ、イワガキなど、貝類の調達。
達也が絞った3カ所のポイントに、
カメラと城島が獲った貝類を設置。
これで、あの大物をおびきよせる作戦。
城島は海女の修業の成果か、岩と同化して分かりづらい牡蠣も、
波のタイミングに合わせ、手カギを差し込み、一気にはがず。
いつになく手際良く、サザエとムラサキイガイも。
すると、城島の獲った貝にイシダイの子供が群がって来た。
視界の悪い海の中でも、魚は匂いを頼りに、エサを嗅ぎ付ける。
そして、更におびき寄せる為、これらの貝の殻を割って
匂いが出やすいようにひと工夫を加えた。
これらを、まずは、水深3m。
イワガキの残骸がある、エサ場と思われる場所へ設置。
すると、あっと言う間に、イシダイ、カワハギが群がり、
コブダイと同じベラの仲間、キュウセンもついばむ。
しかし、どれも牡蠣の殻を噛み砕けるような魚ではない。
そして、中間地点、水深5m。
ここは、岩の割れ目があり、魚が身を隠せる穴も多い。
さらに水深10m、コブダイらしき姿が映った場所にも設置。
こうして3カ所。
カメラの場所が分かるように、漂着物の発泡スチロールを浮かべた。
バッテリー切れのタイミングで、カメラの回収へ。
すると、仕掛けたエサに変化が。
イワガキの身が無くなっているだけでなく、
殻のついたサザエとイガイも食べられた痕跡が。
大物が食べにきたのか?
さっそく映像の確認。
貝の匂いに誘われて、一気に集まって来た魚は、
5分もしないうちに、その身を食べ尽くし、散っていった。
別角度のカメラには、何やら魚の群れ、
さらに、小魚が好物のアオリイカの姿も。
貝に集まった魚を見て集まってきたのか。
達也「大きい魚は普段は深い所にしかいないはず」
ならば、最も深い水深10mに仕掛けたカメラはどうか。
ここのエサも、イワガキの殻だけになっていたが、
最初に目に飛び込んできたのは、2m近い“アカエイ"。
深場には大物はいる、だが通り過ぎただけ。
さらに、甲殻類が好物のマダコが、
サザエの上に覆い被さっていた。
脚の付け根に鋭い歯があり、こうして獲物を食べる。
そして、30分後、
城島「サザエごと持ち去った」
すると、別角度のカメラに映るコブダイらしき魚影。
確かにコブがあり、形は似てはいるが、コブダイと断定はできない。
とはいえ、その向かった先は、岩の割れ目あたり。
そこで、岩の割れ目に設置したカメラの映像を確認すると、
達也「うわあ!でかい!コブダイ!」
今度ははっきりと確認できた、紛れもなくコブダイの姿。
すると、仕掛けた殻を噛み砕き、ポイっと口から吐き出した。
あとで調べたところ、コブダイは貝類が大好物。
喉にある強靭なギザギザの歯で、殻を噛み砕き、中の身だけを食べる。
そして、お腹を満たして満足したのか、岩陰に消えた。
城島「島の海の主みたいやったあ」
周りにいるキュウセンなどの小魚は、20cm前後。
それと比べると、かなり大物。
結果、コブダイは、2カ所のカメラに映っていた。
そうすると、消えて行った岩陰が、ねぐらなのか。
佐渡島の弁慶のように、DASH島のコブダイも、
TOKIOに懐いて一緒に泳いでくれるかもしれない。
ならば見つけたい、彼の棲みかを。
消えて行った岩の割れ目を中心に、達也がもう一度捜索。
と、メバルが群れている穴の入口に、サザエの破片が点々と。
ここが、ねぐらなのか?と、達也がついに見つけた!
悠々と泳ぐ大きな魚。
これは、コブダイに違いない。
が、達也が思わず出た声に驚いたのか、また岩陰へ。
そして、逃げ込んだ穴から顔を出したかと思うと、
岩の周りを気にするようにグルグル回り、
今度は、別の穴へと消えて行った。
すると、その近くに、また大きな魚影が現れた。しかも何匹も。
近づいてみると、コブは小さいが、コブダイと同じく、白っぽいアゴ。
ヒレの形も良く似ている。
調べてみると、これはコブダイのメス。
あとで分かったことだが、コブがあるのはオスだけ。
ハーレムを作り、強いオスほど、多くのメスを引き連れる。
だが、その縄張りのそばには必ず、その座を狙うオスが。
そのため、コブではなく、口を使って互いを威嚇し、戦うことも多い。
つまり、DASH島に複数のメスがいるということは、
ハーレムを作る強いオスがいるはず。
ここは無人島、まだ見ぬ、デカイやつがいる可能性もある。
一方、石橋作りは、少しずつ進んでいた。
藤本さん「土台となる“支保工"を作ります」
それは、石橋が完成するまで、
「石」を「橋」の形に保ったまま支える木製の土台。
しかし、その支保工を設置するためには、仮設橋の橋桁、
レールと枕木を一時的に解体しなければならない。
まずは、レールを繋ぐボルトを外す。しかし、
潮風にさらされ、すっかり錆び付いたボルトはなかなか回らない。
それでも何とか、叩けば抜ける状態になったら、
城島「ネジ頭を打つと潰れるからボルト掛けたまま叩く」
これも、開拓で学んだ先人の知恵。
台風被害の線路を復旧する最中、
富山・黒部の保線マンが教えてくれた。
そして、線路の解体は城島、松岡の2人に任せ、
達也は、残っていた材木で石を積む土台の支保工を作り始める。
支保工は、輪石と壁石・全ての重さを支える強度が必要となる。
そこで、舟屋や水路の材料として頂いた古材の中から、
強くて適度な太さの物を見繕い、加工することに。
支保工はアーチ型だが、その組み方、棟梁・達也には考えがあった。
まずは、材木の先端に角度をつけて切り落とし、
続けて2本目は、さらに短く角度を2段階にする。
これを、柱のように立てて、土台の材木に打ち付けていく。
達也「徐々に丸くなって、半円に」
つまり、角度のついた長短の柱、そこに重さに耐える補強の木、
それを繋げば、アーチ型に。
これを4組作って並べ、石が載る天板を打ち付ければ、
石橋の支保工となる。
これは、棟梁・達也にとっても初めての仕事だが、
間もなく線路が外れる、待たせるわけにはいかない。
慣れないながらも、手早くアーチを仕上げていく。
一方、石橋予定地にいる線路の解体組、城島と松岡は、
レールを枕木に押さえつけている犬釘と格闘。
これも、錆びていたようだが、何とか抜き、
石職人・藤本さんの手も借りて、
1本70kgあまりのレールを4本、外していく。
そして、1本約20kgの枕木も外す。
石橋ができれば、その上には線路、この枕木も再び必要となる。
そして、最後に、仮設橋の橋桁。
地面代わりの強度を限られた資材で出すため、
5本のレールを束ねてある。
そこで、それらを1本ずつバラしてから下ろす。
それでも70kg以上の鉄の塊、ケガしないよう慎重に作業。
その頃、達也は、4組のアーチを作り終え、
達也「あとは石を載せる板を上に張っていけば」
石の重さに耐えるよう足場板を使い、天板を打ち付けていく。
一方、解体組は20本あった橋桁のレールをすべて外し、
松岡「外して見てみるとえぐれ方すごいね」
そして、枕木で作った橋脚のサンドルも解体。
城島「ようやく撤去完了!ここに支保工だ」
保線マンの知恵を借りた仮設橋は、
およそ半年、その役割を充分に果たしてくれた。
そして、達也の支保工も完成。
松岡「これ自体が時代劇の橋(太鼓橋)だぜ」
長さ4m、幅2m、高さ1.5m、松岡が渡ってもビクともしない。
仮設橋に代わり、石橋を架ける準備が整った。
これを石橋予定地まで運搬する。しかし、重量は推定300kg。
そのため、足場丸太を下に入れ、番線で止めて持ち手を作り、
スタッフも総動員で運ぶ。
そして、トロッコまで運んだら、
あとは石橋予定地まで荷台に載せて移動。
先程運んだ支保工の重さを全身で味わった松岡、改めて思う。
松岡「トロッコ楽だわ、ありがたい」
しかし、油断してはいられない。
大きな支保工、荷台から落とさぬよう慎重に運ぶ。
そして、石橋予定地に到着。基礎と地固めにした板の上に、
向きを合わせ、持ち手の丸太を外して設置完了。
城島「ここに下から順に輪石を積んでいく」
いよいよ石橋作りは、石積みへ。
輪石の底面を支保工に当て、2段目以降は隣の石とも接するように。
そして、最後に要石を入れれば、重さだけで支え合う。
まずは、一個目、奥の輪石から。
輪石の端が支保工の端と合うように置く。
そして、輪石の底面が支保工の天板に当たるよう、
バールで石を立てる間に、クサビをかまし、石を詰める。
これをあと50個以上、気の遠くなる作業。
しかし、要領は掴んだ。
石を積むほどに息は合い、この日は2段目まで輪石を
積んだところで作業終了。
石積み2日目は、スタッフが。
怪力AD足立は1人でおよそ60kgの石を持ち上げ積む。
まだ1人では運べない元ヤンキーAD山中は、その背中を見て学び、
AD足立からもコツは『根性』だと教えられた。
そして、石積み4日目は、雨。
作業は残り半分、5段目へ。
城島「(輪石は)互い違いに組んで噛ますことで支え合う」
それは、石橋の本場・長崎で学んでいた。
眼鏡橋の輪石をよく見ると互い違いに組まれていた。
その理由は、石の形と向きを揃えて積めば、
継ぎ目から崩れやすいが、継ぎ目がズレるように積むことで、
力がかかっても、持ちこたえることができる。
そこで、大中小、大きさの異なる輪石を並べて、あみだ状に。
これが400年近く崩れることのない理由のひとつ。
小の石およそ60kg、中の石で70kg、大きい石は80kgほど。
これまで腕力任せに積んでいたが、いい方法を思いついた。
城島「滑車使わんと持ち上がらんからね」
その「滑車」は以前、線路の復旧で使っていた。
滑車の原理で、引く力は1/4で済む。
力を合わせれば、線路でさえも持ち上がる優れもの。
その時の滑車と櫓を用意し、
まずは、80kgの輪石を吊り上げながら、支保工の上へ。
とはいえ、1つで太一の1.5倍ほどの重さ。
滑車を使っても、石は簡単に持ち上げる事はできない。
だが、作業は止められない。続いて70kg中の輪石。
作業のペースは徐々に上がってきた。
そして、石積み5日目。
達也「慣れてはかどってきたね」
次が9段目、積んだ石は48個、間もなくアーチがつながる。
と、ここで松岡が違和感に気付く。
松岡「すき間が空いてるけど大丈夫?」
本来、両側から同じ数の輪石を積んでいき、
要石がハマらなければならないのだが、その両脇にはすき間が。
しかし、輪石が入るほどの余裕はない。そこで、
城島「輪石をちょっと削るわ」
つまり、輪石が3つ入る所に、1つしか入っていない状態。
そこで、1つ1つ削り、すき間なくハマる大きさに調整していく。
幸い、石は充分にある。
しかし、それが意味するのは、
太一「全体的に削っていくの?」
長瀬「(輪石)全部下ろすってこと?」
初めから輪石を積み直す、ということ。
また、あの過酷な作業が…石積み、まさかの振り出し。
ショックを隠し切れないメンバー、肩を落としたまま、
積んだばかりの輪石を下ろす…無人島での石橋作り、一体どうなる?
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