2015年5月17日 放送内容DASH島 無人島を開拓できるか!?

5月はじめのDASH島。
この日、舟屋では、恒例のあの準備が進んでいた。
城島「今年の“端午の節句"はコレやね」
浜で集めた漂着物、ウキや羽、拾った竹で作っているのは“弓矢"。
鯉のぼりや兜飾りで男の子の成長を願う「子どもの日」だが、
平安時代の宮中では、馬に乗って的を射る“騎射(きしゃ)"で邪気払いをしたとのこと。
そこで今年は、この騎射で厄払い。というのも、
長瀬「俺たち“弓"のPRやったもんね、都城市で」
それは半年前、ご当地PR課で訪れた宮崎県都城市。
生産量日本一の和弓をPRするため、
通常2m程の弓矢を約3倍の6mに巨大化!
見事、100m先の的を射抜いた。
そんな都城で学んだ反発力と粘りのある弓作り。
作り方は、体が覚えていた。
まずは、漂着物の竹を縦に二つに割り、
長瀬「しならせるために竹で木を挟むのが一番いい」
確かに、都城の和弓職人は竹の間にハゼの木を入れていた。
この1枚で弓の強度が増し、大きな反発力を生む。
そこで、竹の幅に合わせて板を切り出し、
二つの竹で挟んで、7か所をロープで縛って固定。
続いて、弓に角度を付けるべく、さらにロープを巻き付け、
竹との間にくさびを打ち込みながら曲げていく。
これも都城で学んだ、江戸時代から伝わる和弓作りの技術。
くさびを40本打ち込んで弓を曲げ、クセがつくまで、しばし待つ。
4時間後、ロープを外せば、
長瀬「いい感じに曲がってる!」
この弓の端から端へ弦を張るのだが、
ここにも、江戸時代からの知恵が!
長瀬「曲がった側とは反対側に弦を張る」
つまり、クセをつけた弓を今度は強引に逆へと反らせ、
その状態で弦をかけることで、より反発力が生まれる。
そして、弦の代わりは、島で一番丈夫なイカ用の釣り糸で。
城島「(弓は)一点ものやから無理して曲げんほうがいい」
しかし、限界まで反らせて糸をかけねば、反発力は生まれない。
多少強引に、メキメキと軋ませながら、徐々に弓を逆方向へ
曲げていく。
何とか弓が折れることなく、弦を張ることに成功!
こうして、適度なしなりを備えた、
端午の節句、漂着物で作った騎射用の弓と矢が完成。
竹をロープで固定し、弦は釣り糸。
強度と反発力に不安は残るが、まずは外で試し射ち。
すると、長瀬が半分の力で引き放った矢は、一直線に15m先へ!
長瀬「すごい!これいい!」
手ごたえ十分、飛距離も確認できたところで、
さっそく、流鏑馬の起源となった厄払いの騎射を。
それには、馬が駆け抜ける直線と、
射抜く的も用意しなければならないが、
馬の代わりは手漕ぎトロッコ、的は直径30cmの鍋のフタ。
城島「集中できるだけの(走行)ストロークが欲しいね」
トロッコから的までの距離10m。さらに、
達也「風強いよ」
この日、海からの風が6m。
まずは長瀬、果たして的を射抜けるか?
長瀬「一発で当てるぜ!」
気合十分で放った矢だったが、
向かい風の影響か高さが足りず、的の下50cm。
続いて、四十肩を抱える城島。
向かい風も考え、高めに矢を放ったものの、
なぜか突然の横風で失速、的の横へ流されてしまった。
となれば、ここで真打、達也登場。
魚へ一直線!ヤスを突いたあの時のように、
的も射抜いてくれるはず。
だが、放った矢は、的のわずか15cm脇をかすめた。
狙いは、申し分なかったが的中したのは的の土台。
と、ここで名乗りを上げたのは、リーダー永遠のライバル。
相撲を始め、日本の文化に精通するAD北村。
城島は好敵手に自身のヘルメットを渡す。
TOKIOが漕ぎ、ADが射つ!いざ!!
しかし、放たれた矢は、あえなく的を外し…
長瀬「なんでこの挑戦を買ったんだ?」
北村「なんであんなに当たらないのかなと思って」
厄を払いきれなかったか、数日後、的を外した方角から…
「いた!いた!いた!泳いでる…」
それを見つけたのはスタッフ。
沖から島へ、上陸を試みようと迫る黒く、細い影…。
「どうする?上陸防ぐ?」
スタッフが棒を手に持ち、追い払おうとするのも厭わず、
黒い蛇が、DASH島に上陸した…。
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