2015年5月17日 放送内容今日は5月17日 DASHなんの日調査隊

新企画始動!
何気なく過ごす今日もさかのぼってみれば、私たちの生活に欠かせない
何かが起こった日。DASHなんの日調査隊!
記念すべき第一回目は、5月17日。
この日は、井の頭自然文化園の開園、北海道に最初の屯田兵が入植
など、様々な事が起こった日。
その中でも、TOKIOが気になったのが、
松岡「伊能忠敬さん」
そう、この日は、正確な日本地図を初めて作った伊能忠敬の命日。
彼は、17年間かけて4万km、地球1周分を歩いて、日本地図を完成させた。
しかし、メジャーやGPS、コンピューターもなかった時代に、
どうやって彼は正確な地図を作り上げたのか?
文教大学付属高校日本史教論で、日本史のエキスパートであり、
伊能忠敬についても詳しい、河合敦先生によると、
河合先生「歩いて測ったんですが、その一歩がきわめて正確だった」
一歩の長さは69cmと決め、同じ歩幅で歩く練習を何年もしたという。
そして、海沿いを歩いて測り、正確な地図を完成させた。
城島、松岡、河合先生が訪れたのは、神奈川県三浦半島の南端にある城ヶ島。
河合先生「実は、伊能はここに上陸して測量していないんです」
城島「知らんかった」
伊能忠敬の日記によると、その理由は大地震。今の様に橋も無く、
見た目で測るしかなかったという。
松岡「命日に俺たちに何ができるかと考えたら、
伊能忠敬さんができなかった無念を晴らす」
伊能忠敬の命日に未測量だった城ケ島の地図を作ろう!
島の北にある城ヶ島漁港から、測量開始!
測量の目安となる「梵天」という棒を持つのは、
番組プロデューサーの島田Pと、番組スタッフの山口太一AD。
まず、30m程の間隔で、梵天を立て、その間を松岡が歩いて歩数を計測。
松岡の歩幅は、一歩80cm。
松岡「32歩ですね。80×32だから、25m60cm」
測った数字をきちんと記録していく。
やがて差し掛かったのは、大きく曲がった海岸線沿い。ここで使うのは、
河合先生「彎窠羅鍼(わんからしん)という方位磁石なんですよ」
戦国時代に伝わった杖つきの方位磁石。
梵天の位置と、彎窠羅鍼の2本のすき間を合わせることで、
正確な角度を計測できる。
歩いた距離と角度を記録し、それを繰り返していけば、
最終的に正確な地図ができる。
測量を続ける一行の前に立ちふさがるのは、ヨットハーバーのフェンス。
海沿いには、様々な施設や私有地があり、自由に立入はできない。
そんな時、伊能忠敬はどうしたのか?
河合先生「地元の役人やえらい方を連れて一緒に手伝ってもらった」
そこで、城ケ島に顔の利く石橋区長に同行して頂き、ヨットハーバーや、
水産技術センターや造船会社など、様々な方たちのご協力の元、
測量を続けて行く。
さらに、一行の測量の障害となったのが崖。
城島「ちょっと大変な感じになってきたな」
歩いての測量が難しい所で使われたのが、間縄。
縄で作られた巻尺で、縄をピンと張る事で正確に距離を測る事ができる。
安全の為、地元のダイバーに協力して頂きながら、計測続行。
松岡「伊能忠敬さんはすごいね」
測量開始から3時間40分、午後6時15分。
日が暮れてしまったため、1日目の測量終了。
民宿さんご荘の一室をお借りして、測ってきた数字を頼りに地図作り。
地図の大きさは1000分の1。
できあがった1日分の地図を見てみると、
松岡「俺たちの動きはこうだったって気がする」
測量2日目は、番組スタッフ、城ケ島区長を始めとする地元の方々に協力
して頂き、測量を続けた。
そして、3日目は崖の終わりから始まった。
目の前は海で、とても歩いて測量はできそうにない。
松岡「こういう時、伊能さんはどうしたんですか?」
河合さん「船を使いました」
そこで、地元ダイバーと漁師さんの力を借りて、船を使って測量を続ける。
こうして、城ヶ島の名所、馬の背洞門にたどり着いたのは、
測量開始から延べ15時間後の事だった。
一行の歩みは止まらず、TOKIOが測量を進めながら、
スタッフが同時進行で地図作りを進める。
ついに見えてきたのは、
松岡「あれ、スタートラインだよ!?」
午後4時15分、スタート地点に到達!
測量日数3日間、スタッフ延べ78人による測量が終了!
城島「伊能忠敬さんはすごい!島一周でこれだけ大変」
しかし、地図作りはまだ終わっていない。
測ったデータを地図に起こしていく最後の大仕事。
順調に地図を書きこんでいくが、やがて問題が発生…。
できあがった地図を見てみると、35cmの空白が。
つまり、350m分の誤差。
松岡の歩数のズレがたまってしまい、これだけの誤差が出てしまった。
線を繋げようという案も出たが、ここで城島が、
城島「そこは計測不能じゃないですけど、やっぱり伊能先生には
勝てなかったっていう事で」
松岡「男らしいね、負けを認める城島茂!」
計測できなかった部分は、線ではなく、点々で結び、
こうして、様々な思いが詰まった城ヶ島の地図が完成!
実際に測量してみて分かった事、それは17年間にわたって日本全国を
歩き続け、昭和の初期まで使われた地図を作りあげた苦労と、
約200年前の今日亡くなった伊能忠敬の偉大さだった。
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