2015年6月21日 放送内容DASH海岸

今年の1月、DASH海岸で見つけたのは、体長1cm程のアユの赤ちゃん。
城島「やっぱ、川と繋がってるんやな」
達也「この海から川へ上っていくわけでしょ」
冬の間、海でプランクトンを食べ育ったアユは、体長5cm程になると、
大好物のコケを求めて、川を上る。
キレイな水質にしか住めない為、「清流の女王」とも呼ばれる。
3年前から、多摩川に上るDASH海岸育ちの江戸前アユを調査してきたが、
そんなアユ達が上るのは、多摩川だけではない可能性があるという。
それは、浅草や両国、築地市場を通り東京湾に注ぐ大都会の川、隅田川!
達也「ここにアユがいたらスゴイな」
江戸時代、河口付近は将軍献上の魚が獲れる、いい漁場としても有名で
川を上るアユの姿は、かの松尾芭蕉も句に読んだ程だった。
しかし、高度経済成長期には水質が悪化してしまった。
達也「隅田川にアユが上がってきているか」
今回の追跡でお世話になるのは、江戸前アユの復活の為に調査、保護を
行っている東京都島しょ農林水産総合センターの安斎さん。
普段は、多摩川を中心に様々な調査を行っており、隅田川では初調査。
安斎さん「どこかでアユと出会えればいいなと思います」
最初の調査は、海から200mにある、日本最大の魚市場、築地市場近く。
川岸に沿って川を上るアユの習性を利用した刺し網を仕掛け、
アユの捕獲を試みる。
城島「魚が集まる築地市場の前に、実際どんな生き物がいるのか?」
刺し網を上げてみると、大量のミズクラゲに混じって、
木村さん「コハダのデカいやつ、コノシロです」
4cm以下はシンコ、7cm以下はコハダ、15cm以上はコノシロと、
大きくなるに従い名前が変わる出世魚。
どれも江戸前寿司で有名だが、中でもシンコは1kg2万円の超高級魚。
コノシロ、ミズクラゲの他には、チチブ、ケフサイソガニを発見したが、
目的のアユは見つけられず。
次なるポイントは、さらに上流、両国橋を越えた先
安斎さん「神田川ですね」
神田川は井の頭公園を源流に、新宿や御茶ノ水を通り、隅田川に注ぐ川。
江戸時代には、江戸初の都市水道「神田上水」として利用されていた。
しかし高度経済成長による汚染により、生き物が全滅した。
近年、その水質が改善されてきた為、
安斎さん「隅田川より、アユは神田川に入るんではないか」
アユは、早い流れに逆らって川を上る習性がある為、
細くて流れの早い川を目指す事が多いという。
達也「見た目はそんなにキレイになったとはまだ言えないけど、魚にとってはどうなんだろう?」
最初の調査ポイントは、海から8kmの秋葉原の万世橋近く。
ここでの調査方法は、投網。入っていたのは、
木村さん「サヨリの赤ちゃん」
春を代表するサヨリは、江戸時代はサンマよりも美味しいとされた高級魚。
さらに神田川を上り、やって来たのは御茶ノ水周辺。
御茶ノ水はかつて、アユ釣りの名所としても知られた程の清流だった
ここでも投網による調査を行う。すると、
達也「こんなのいるの!?」
男達が驚いたのは、体長60cm程のスズキ。
東京湾を代表する高級魚スズキは、小魚を好物とする肉食魚。
安斎さん「アユの群れを追って来たのか」
アユが上っている可能性を感じ、さらに神田川を上る。
飯田橋付近を過ぎると、水がだいぶ澄んできた。
水面に時折顔を覗かせるのは、コイ。
江戸時代には、タイやカツオと並ぶ高級魚で、中でも神田川のコイは
「紫鯉」と呼ばれ、将軍の食卓にしか出されることがなかった
しかし、このコイも汚染で一度は姿を消してしまった存在。
城島「水がキレイになったっていう事なんですね」
海から11kmを過ぎると、水深もかなり浅くなってきた。
とうとう、ボートではこれ以上進む事ができなくなった為、
ボートを降りて、歩いて調査を続ける事に。
そこは、海から13kmの新宿区高田馬場付近。
水底に見つけたのは、貝の化石。この辺りは、上総(かずさ)層と呼ばれ、
東京の基盤となる100万年以上前の地層が川底を成している。
達也「川底だけは昔のままなんだね」
さらに、歩みを進めていくと、
城島「魚がたくさんいる」
達也は素早くたも網で掬うと
安斎さん「ボラだ」
木村さん「ボラもコケを食べるんですよ」
ボラもアユと同じくコケが大好物。すると
達也「コケあるね」
その周辺にはたくさんのコケが生い茂っていた。
期待が高まるが、雨脚が強まり、調査続行は難しくなってきた。
最後の望みをかけて、コケが生い茂るポイントで投網を試みると、
安斎さん「アユだ!やっといた!」
体長5cmの若アユをついに捕まえた!
城島「高田馬場にアユがいた!江戸前アユの復活や」
しかし、これではまだ本当の意味での江戸前アユの復活とは言えない。
安斎さん「20万とか30万のアユが、大きくなって、
美味しく頂けるようになって、初めて完全復活と言っていいんじゃないでしょうか」
神田川を調査する事で江戸前アユの復活の第一歩が見えてきた。
捕まえたアユは、再度川に戻し、さらなる成長と、神田川により多くの
アユや生き物が戻って来てくれる事を願う男たちだった。
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