2018年3月11日 放送内容DASH ご当地PR課 ~長崎県壱岐市 風の力だけで壱岐の島 走れるか!?~

今年1月、長野県下諏訪町の忘れ去られた日本一、
オルゴールをPRするため、地元の廃材を組み合わせ、巨大化。
これを、町のシンボル・諏訪湖が一望できるサービスエリアに設置。
すると、放送後、巨大オルゴールを奏でようと、行列が!
さらに、SNSでも下諏訪のオルゴールは話題に。
そんな効果を期待してか、番組宛てに一通の手紙が。
差出人は、長崎県壱岐市の市長。その内容は…
「長崎県の離島、壱岐島(いきのしま)は、
全国的に知名度が低く、よく隠岐の島と間違われます。
アピールしたいことは沢山あるのですが、PR方法が分かりません。
アイディアをください」というもの。
そんな市長直々のお願いに応えるべく、
対馬海峡に浮かぶ周囲140kmほどの壱岐島にやって来た
城島と長瀬だったが、
長瀬「真っ昼間なのに全然、人がいないな…」
では手紙を頂いた、市長さんに話を聞くため壱岐市役所へ。
壱岐市長・白川博一さんは、生まれも育ちも、壱岐。
子供の頃は、島の人口が、現在のおよそ2倍。
かつての賑わいを取り戻し、新たに観光客を集めようと、10年前に市長に。
近年の離島ブームで、同じ長崎県の離島五島列島は
人気急上昇離島ランキングで5位。
壱岐の北にある対馬も韓国からの観光客で賑わっている。
一方、福岡から高速船で1時間でいけちゃう壱岐島は、
中途半端に近く、離島感がイマイチ。
観光客は増えるどころか、減り続けている…。
日本最古の歴史書「古事記」にその名が登場する壱岐。
そんな壱岐は稲作や酒作りなど文化や技術が壱岐を通って伝えられた歴史ある街。
そんな歴史の島を、PRするため、
総工費4億円をかけ、弥生時代の遺跡を復元。
入場無料で公開したが、休日でも閑散とした状態。しかも、
長瀬「歴史は、僕らが語っても信ぴょう性ないしね…」
市長「他にも“壱岐さわら"“壱岐牛"“壱岐剣"とか…」
とにかく、魚介だけでなく、食材も豊富で、
どれも美味しいと熱弁するのだが、
城島「食べることくらいしかできないですね…」
その後も、市長の口からは、PRできそうな要素が出てこない。
しかし、TOKIOはすでに、一つ見つけていた。
城島「元々は壱岐が“春一番"の発祥地と言われてますよね?」
先日、関東や東海地方などで吹いた春一番は、
その年、初めて吹く強い南風のこと。
春先の気圧の変化により、南から暖かい風を運んでくるので、
春一番が吹くと、徐々に暖かく。
そのため、春の訪れを知らせる気象用語として、
ニュースや新聞で取り上げられ、
伝説のアイドル・キャンディーズの歌にも。
その春一番という、言葉の発祥が、ここ壱岐。
風の通り道となる対馬海峡にある上に、
遮る高い山がないため、普段から島全体に強風が
しかも、この季節、風速30mを超えることも。
この突風のことを江戸時代から、壱岐の漁師たちの間で、
「春一」「春一番」と呼んでおり、それが全国に広まったという。
しかし、地元の方々に話を聞いてみると、
地元の方「いや、(発祥なんて)しらん!」
そこで!地元でも知られていない壱岐が発祥、
春一番で島をPR!その方法は、
城島「風を受けて島を走る乗り物を作る」
イメージは漂着物を集めて作った、
DASH島の帆船・男爵ディーノ。
こんな帆船に、車輪をつけて、
壱岐の強風を動力に島の絶景を走りながらPR!
無人島では、その材料、漂着物頼りだったが、
この島では、地元の方々の力をお借りして。
壱岐生まれ壱岐育ち、マリンショップを経営する門谷さんは、
地元初・元プロのウインドサーファー。
風で陸上を走る帆船を作ると聞いて、地元ならではの場所へ。
門谷さん「あそこの竹を使いましょう」
壱岐は中国の歴史書「魏志倭人伝」にも、
“竹が多い"と、記された竹の島。
かつて壱岐の帆船のマストにも、竹が利用されていたという。
そこで、帆のマストも、竹で作ることに。
城島「この竹は真っ直ぐでいいですね」
マストが曲がっていると、帆の重心が傾き、
壱岐の強風を受けて転倒する可能性も。
厳選した竹を切り出し、枝葉を切り落す。
城島「(町には)電線があるからなあ」
電線に引っかかったら、町中が停電の一大事。
とはいえ、できるだけ風を受けられるように、
マストの長さはギリギリ、4.3mに。
そして、壱岐の強風を受けとめる帆は、
農家もやっているという門屋さん実家に。
壱岐は米作りなど、農業も盛んな島。
門谷さんの実家も、米作りだけでなく、
自宅で食べる大根など農作物さまざま。
そして、納屋の中には、空の肥料袋がいくつも。
城島「土入れる(肥料袋)丈夫ですもんね」
その素材はポリエチレン、強度は綿の約2倍。
と、城島の目に留まったのは、別の肥料袋。
城島「“らくらくスペシャル"って何ですか?全部配合されてる?」
門谷さん「田植えの時に1回この肥料やるだけで済む」
城島「ほおー、すごいなあ!」
だが、その話、強度には関係ない。
そして、頂いた肥料袋をハサミで裂いて広げるが、
門谷さん「四角い帆は前にしか進めない」
というのも、無人島で作った四角形の帆は、
後ろからの風は受けやすく、よく進むが、
横から風が吹くと、前には進めない。
今回走るのは、海ではなく公道。
カーブも多く、曲がれば風向きもどんどん変わる。
門谷さん「三角だと色んな方向からの風で進める」
つまり、ヨットと同じ、三角形の帆。
後ろからの風はもちろん、横からの風でも、
帆をはらませ、飛行機の翼のようにする事で、
気流を生み出し、揚力が生まれ、前に進むことができる。
しかも、コツさえつかめば、横からの風だけでなく、
斜め前からの風でも、前進できる。
そこで、まず肥料袋18枚を縫い合わせて一枚モノに。
そこから三角形に切り出していく。
それには、城島が慣れ親しんだ足踏みミシンで。
使うのは、福島DASH村以来、8年ぶり。
門谷さん「(縫い上がりの)強度は問題ないですね」
強風の島・壱岐、風速30m超えが吹けば、
つなぎ目にかかる力は、推定300キロ以上。
さらに、ウインドサーフィンの、帆の補修も行うプロと、
門谷さんの仕事仲間・羽生さんにも手伝って頂き、作業を進める。
一方、長瀬は壱岐の女子に囲まれていた。
そこは、壱岐島きっての、海女の町。
夏は、乱獲を防ぐため、薄手のレオタード姿で潜る、
レオタード漁で、天然のアカウニやサザエを。
寒くて潜れないこの時期は、冬の壱岐名物、
養殖の真牡蠣の出荷作業を手伝っている。
そんな海女の町で、長瀬の目当てのものが、
長瀬「仕事で台車とか使いません?リヤカーみたいな」
それは女性でも、この島で獲れた大量のサワラや真牡蠣など、
楽に運べる海女の必需品。
これを、車体の部分にしたい。
ならばと、海女さんに紹介してもらった。
漁師さん「使いたいなら使っていいよ」
元々、海女だった奥さんが10年間使っていたものだが、
亡くなって5年、倉庫に放置されたままだという。
これを壱岐のPRになるならと、譲って頂いた。だが、
漁師さん「タイヤがもう錆びてボロボロ」
長瀬「でも車輪替えれば使えますね」
訪ねたのは、漁船のスクリューや一輪車などを修繕、
島の産業を親子2代で支える鉄加工のプロ。
この道62年、父・吉徳さんと、息子・小次郎さんの力を借りて。
まずは、10年以上、潮風にさらされて錆びついた車輪を外す。
そこに、取り付ける新たなタイヤも、壱岐島にあるもので。
小次郎さん「修理の時に余ったタイヤがある」
長瀬「接地面の少ない細めのタイヤの方がいいですね」
接地する面積が少ないほど、抵抗が減りスピードは増す。
鉄パイプを車体に通し、溶接して固定。
マストと帆、人も乗れば、かかる重さは100kg以上。
長瀬「昔、ドラマ(白線流し)の役で溶接やってたから」
あれから22年、今でも体が覚えている
あとは、タイヤをはめ込めば、
長瀬「リヤカーとしては復活した」
そして、男爵ディーノ号の方向をコントロールする舵の代わりは、
吉徳さんのアイディアで、三輪車のように、
前輪が右へ左へ、進行方向をコントロールする仕組み。
ここからは、この道62年と28年の力も借りて、
前輪を取り付ける、軸を加工。
そして、舵代わりとなる前輪には足をかけ、、
なるべく空気抵抗をへらすため、寝そべって操作できるように。
さらに、漁師さんの倉庫で眠っていた、
元々、漁の道具を手入れする時に使っていた椅子も取り付ける。
と、試さずにはいられず、乗って走らせてみる長瀬。
長瀬「操作性も抜群!これで東京まで帰れるかもな」
一方、城島の帆作りも仕上げ。
壱岐の強風を受け止める骨組みも、地元の竹で。
最後に竹のマストを差し込めば完成。
さらに、この継ぎはぎの帆に、地元の魂を。
壱岐島に1200年以上伝わる鬼退治伝説を表した魔除けの凧。
地元のPRに、そして島を離れる最後の思い出にと、
壱岐高校美術部3年生が描いてくれた。
これを帆に貼り付け、帆を操るロープを取り付ければ、
全て強風の島・壱岐にあるもので作った、走る帆船が完成!
海女の暮らしを支えたリヤカーに、歴史ある竹と、
壱岐の米作りを支えた肥料袋で、強風を受けて進む仕組み。
走る舞台は、500mの砂浜が続く地元屈指の海水浴スポット、
清石浜(くよしはま)を始め、白川市長オススメ壱岐が誇る、
美しい絶景が続く海岸線。
途中には、カーブや風が遮られやすい住宅地、
そして、高低差20m、登りや下りなど厳しいアップダウンも。
全長5.5km、だが、走らせる動力には不安はない。
ここ壱岐は強風の島。
この時期、強い風が吹かない日は1か月で1日あるかないか。
そんな壱岐の強風に耐えて走りきり、
その景色とともに、島の素晴らしさ、伝えたい!と思っていたが…
城島「あれ?風なくなった?」
4時間前、作業を始めた時は、強い風が吹いていたが、
完成した途端に、ピタッと止んでしまった…
しかも、まもなく、日没。
城島と長瀬の帰りの船の時間も迫ってきたので、
城島「風強い日を狙ってまた改めてやりますか…」
そして、TOKIOが東京に帰るやいなや、
すぐに、名物の強風が。
そこで、再びスタンバイ!
壱岐警察署と市役所、全面協力で道路を完全封鎖。
スタート地点には、白川市長をはじめ、再び職人達が集結。
さらにこの日、コースには壱岐市のPRブースも。
1.5km地点には、壱岐の冬の味覚。
海女が手塩にかけて育てた真牡蠣。
3km地点には、壱岐生まれ壱岐育ち。
甘い脂肪が特徴のブランド・壱岐牛。
そしてゴール地点には、一本釣りで丁寧に水揚げした、
ブランドさわら「極み」を炙りで。
さらに、壱岐の強風の力を一目見ようと、
沿道に集まった方々含め、壱岐市民、総勢300人以上。
高まる期待、それもそのはず。
昨日までは、連日・強風、風速20m近い突風の日も。
そして、急遽スケジュールの都合をつけ、城島が再び来島。
しかし、城島が到着した途端に、みるみる風は弱まり、
城島「(風速)ゼロです…」
その後も、粘ってみたものの、一向に風は吹かず…。
結局、この日は断念し、城島は翌日他局のロケのため東京へ。
すると、すぐにまた強風が!だが、
今度は、風が強すぎてフェリーが欠航、スタッフも壱岐に渡れず。
立て続けのロケ延期で、尺も伸びてしまい…決行は次週!
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