「二代目バナナ 震災前の嬉しい収穫」

5月下旬、新潟県の魚沼地区に田植えをして以来、様子を見に行く事が出来ないまま梅雨も終わっていた。村ではこれほど長い間、様子を確認しないことはなかったので、どうなっているか不安だった。
実際に田んぼを目にして驚いた。
予想以上に雑草が繁茂しており、除草も大変。田車なる、昔ながらの優れた道具も使ったが、全部取り去る事は出来ないので結局、手作業で除草しなきゃいけなかった。梅雨明け、日差しが容赦なく照りつけ、どんどん体力が奪われる。腰を曲げての作業も辛い・・・!すぐ痛くなるので、その都度、腰を伸ばし痛みが引くのを待つ。村の生活から、東京の生活になり、体を動かす機会が減っていたので体力も落ちていた。そんな、僕を横目にどんどん進める明雄さんと清さん。明雄さんは80歳を超え、清さんは70歳を超えている。どこにそんなバイタリティーがあるのか、本当に不思議だ。


なんとか除草作業をやり終えた頃には、立てないかと思うほど足腰がガクガクした。この何十倍もの広さの田んぼを手作業で管理をしていた昔の人は本当にすごいと思う。
これで、やっと全容を現した新男米は、青々として順調に生長していた。清さんの宣言通り、梅雨のジメジメとした時期を何事もなく乗り切っていた。この調子だと、大収穫を見込めるのかもしれない!!





そして、今回は村と同じような気候の中、南国作物を栽培している新潟県村上市にある「瀬波南国フルーツ園」も訪問した。園長の遠山さんにお話しを聞くと、村と同じように温度管理に苦労しながら、パッションフルーツの品種改良などに取り組んでいた。その結果、―5℃まで耐え、一年に3回、一度に100個も収穫出来るパッションフルーツを完成させていた。
色々と話しを聞いている間、ずっと頭からは村の南国ハウスのことが頭から離れなかった。
村でも、南国ハウスの温度管理にはとても苦労していた。けれど、―15℃にまで達する村で、今年3月、無事に二代目バナナの収穫に成功していた。


しかし、その頃、TOKIOの皆さんは全国ツアーライブの真最中。そこで、明雄さんと共にライブ会場に届けに行った。楽屋を訪れ、みんなで味わった。二代目バナナは、ならせたまま完熟させたので味は濃厚だけど、くどくはないので何本も続けて食べられた。完熟して食べごろだったから、少しでも遅くなっては味わえなかったと思う。
無事に、収穫し味わう事ができたのはよかったけれど、あの震災の影響で収穫途中のバナナを始めコーヒーやマンゴーをおいて避難せざるをえなかったので、本当に残念。すでに大分生長していた三代目バナナの様子も気が気でない。どのフルーツも奇跡的に無事でいてくれたらいいな・・・。

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