『棟梁、池田末治さんのこと』

平成14年10月23日、二年前の夏にぼろぼろだった家を村役場として修復したときにお世話になった大工の棟梁、池田末治さんが、病気のため、亡くなりました。70歳でした。

池田さんにお世話になったのは、二年前の夏の一ヶ月です。そして、DASH村で一緒にお仕事をさせていただいたのは、たった二日。考えてみると、本当にわずかな期間です。
しかし、その仕事っぷりと、交わした言葉の一つ一つは、とても印象深いものでした。今、振り返ってみると、昨日のことのようにも、だいぶ前のことのようにも思えてくるのですが、ちょっと、あのころのことを振り返ってみました。

村役場修復の日は、夏の日差しが眩しく、とてもとても暑い日でした。何度も、湧き水を飲み、顔を冷やしたことを覚えています。
この日は、一日で壁ははがれ、床板は割れ、床下から竹が生えてきているという、ぼろぼろの家を何とかしようと取り組んだ、あわただしい一日でした。そして、今でこそ様々な家づくりを経験し、道具の使い方も家の構造も、だいたいわかってきた我々ですが、あのころは、どの道具をどこで使うのか、どれが柱でどれが梁なのか、そういったことが全くわからず、傾きかけた家を見て、ただただ呆然とするばかりでした。
そんな中、池田さんの指示は、本当に的確でした。壁や床板など、壊すところは大胆に壊し、一方で、柱や梁で良質の栗材が使われているところは、それを見抜いてそのまま活かし、てきぱきと、自ら率先して作業をしつつも、指示を出してくれました。
そして、何より、みんなに気を遣ってくれました。慣れない手つきでのこぎりをひいていると、あぶないあぶないと言って手取り足取り、正しいひきかたを教えてくれ、また、ひとりひとりの仕事の進み具合にも気を配ってくれ、私のような作業の遅いものには、それに見合った仕事をさりげなく、振り分けてくれました。
そのおかげで、日暮れには、見違えるようにさっぱりし、廃屋が見事な家として息を吹き返しました。
今でも、あのはっぴ姿と、すがすがしく濁りのない笑顔、そして、額にキラキラと光っていた汗は、鮮明に、しっかりと覚えています。

棟梁としての仕事っぷりも、忘れることはできないのですが、私が今、振り返ってみて、印象深いのは、交わした言葉の一つ一つです。村役場修復のころ、池田さんの運転するトラックに乗せてもらって、二人で廃校となった小学校の跡や倉庫などを回り、眠っている古材を探したことがありました。そのとき、まだ、我々はあまり話を交わしたことがなかったのですが、池田さんの方から、私に話しかけてきてくれ、私がDASH村にやってきた経緯を話すと、「人間、いろいろな経験をして大きくなるんだから、何でも、とりあえずはやってみたほうがいい」、「多くの人に会って、たくさんの人の話を聞いてみた方がいい」といったことをおっしゃってくれました。
ただ、私はその当時、そうした言葉は様々なところで耳にし、聞き飽きていたものでした。しかし、池田さんにトラックの中で言われたとき、不思議と、またか、などといった気持ちにならず、妙に納得したものでした。これはやはり、大工の棟梁としての長い経験が生んだ人間の大きさや人の心をつつみこむ優しさ、あるいは、私のようなどこの馬の骨ともわからぬ人間とも笑顔で対等に向き合ってくれる心の広さなどが、語らずともにじみ出ていたからでしょう。
あのときの青いおんぼろトラックの油の匂い、全開の窓から入ってきたアブ、濃い緑に輝いていた夏草の色、そして、運転しながら隣で笑っていた池田さん・・・。そうしたことのひとつひとつが、ただただ、懐かしくよみがえってきます。

体調を崩されてからは、長い入院生活が続いていました。お見舞いに行くと私の手を握ってくれ、「おれはがんばるから心配しないでくれ」と、いつも力強くおっしゃっておられました。そして、「米はどうだ」「ヤギは元気か」など、ずっとDASH村のことを気にしてくれ、私が差し上げた『DASH村開拓記』と撮った写真も、次にお見舞いに伺ったとき、お孫さんの写真と共に、病床に置いてくれてありました。

ただ、今年の7月31日、病院でお会いしたのが最後となってしまい、10月23日、静かに息を引き取られました。そして、今となっては、DASH村役場の修復が、池田棟梁の55年の大工人生最後の大仕事となってしまいました。

そういえば、病状が悪化する前、このころ、池田さんは転院を繰り返しておられたので、奥様に病院とお見舞いに伺ってよろしいかどうかを尋ねようと連絡したところ、池田さんはたまたまお宅にいらっしゃいました。そして、私が帰るとき、「今日は一日だけ外泊許可をもらって、さっき来たんだ。これは、偶然じゃなくて縁だよ」とおっしゃっておられました。この言葉は、何か、私の心にとどまっていて、忘れられません。

お葬式の日、前の日も、そして次の日も晴れだったのに、その日だけ雨でした。
今、村役場の柱や梁を見るたびに想い出がこみ上げてきますが、すばらしい出会いに感謝。



DASH村に関わるもの一同、池田末治さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。