2011年11月6日(日)/30分枠  25:00〜

ひと筆の祈り 後遺障害 8年の歩み 

制作=中京テレビ

小学6年生の時、車にはねられた水上卓哉さん(20)。身体・言語の障害を伴う「高次脳機能障害」を負った。事故は夢いっぱいの未来を奪った。母・真弓さんは、事故後の日々を「一つひとつ出来なくなったことを考える毎日」と振り返る。一時は「死にたい」と漏らした彼に、生きる希望と夢を与えたのが「絵を描く」こと。芸術大学の通信制に入り、次々に作品を生む卓哉さん。恨みつらみは一切口にしない。「自分の絵を見る人、みんなを幸せにする!」そんな目標が、再び生きる希望を与えている。今年、4ヶ月かけて完成した絵のタイトルは「天使の歌声」。事故で意識不明の時、枕元で歌ってくれた少年少女合唱団の姿だ。そこには、歌うことが大好きだった事故に遭う前の卓哉さんも描かれていた。一人の若者が放つ「いまを懸命に生きる」メッセージ。
ナレーター:新井田雅樹
=再放送= 11月13日(日)11:00〜「BS日テレ」/11月13日(日)18:30〜CS「日テレNEWS24」
2011年11月13日(日)/30分枠  25:00〜

3・11大震災 シリーズ19 シャッターに祈りをこめて 売れっ子写真家が写した被災地 

制作=日本テレビ

宮城県塩釜出身の平間至。東京を拠点に広告やCDジャケットを手がける写真家として活躍してきた。久々の帰郷は3月下旬。カメラを手に、変わり果てた町を見て廻った。しかし、残酷な風景を前になかなかシャッターを切れない。かわりに始めたのは、炊き出しや復興ライブの企画だった。祖父が開業した「ひらま写真館」の三代目になるはずだった平間。奔走するのは、家業を継がず故郷を捨てた負い目からだと言う。遺失物の保管所で、彼は写真館で撮影された数々の記念写真と出会う。祖父や父は、人々の喜びの瞬間に立会い町の記録を残してきた。俺は何をするのか?震災から5か月、平間は写真家として被災地と向き合った。東日本大震災、故郷とは、写真とは…、一人の写真家を通して見つめる。
ナレーター:遠藤憲一
=再放送= 11月20日(日)11:00〜「BS日テレ」/11月20日(日)18:30〜CS「日テレNEWS24」
2011年11月20日(日)/30分枠  25:00〜

3・11大震災 シリーズ20 セシウムと子どもたち 立ちふさがる“除染の壁”

制作=日本テレビ・福島中央テレビ*共同制作

福島第一原発事故で放出された放射性物質について、国の責任で行う「除染」のロードマップが10月末に公表される。しかし除染について住民の姿勢は「総論賛成、各論反対」。除染で除去した土をどこに埋めるかをめぐっても最終処分場はおろか中間貯蔵施設、さらにはその前段階の仮置き場でさえほとんど決まっていない。そんな中、南相馬市では児玉龍彦東大教授の助言を得て、子どもと妊婦のいる場所を最優先に除染に取り組んできた。民間でも私立よつば保育園では職員と保護者、NPO団体を中心に除染活動を行ってきた。しかし、近隣住民の反発や、汚染土をどこに持っていくかなど課題は多い。人口が密集する福島市では、住民同士の利害が対立する場面も出てくるなど、除染の道のりは厳しい。
ナレーター:中山由佳
=再放送= 11月27日(日)11:00〜「BS日テレ」/11月27日(日)18:30〜CS「日テレNEWS24」
2011年11月27日(日)/30分枠  25:25〜

3・11大震災 シリーズ21 おとうの船 置き去りにされた20キロ圏

制作=山形放送

1万1千人以上…原発事故で福島県内から山形県に避難した人の数だ。県外へ避難した数として、全国で最も多い。警戒区域の福島県浪江町から山形県中山町に一家4人で避難した佐藤博美さん(41)。津波で、家も船も流された両親一家も一緒だ。「将来のある子どもたちを、被ばくさせるわけにはいかない…」県外へ避難した理由を博美さんはこう話す。今年4月、長男・翔くん(12)は避難先の中学校に入学した。一方、現役漁師の父・康幸さん(69)は、海から見つめる原発の姿にずっと不安を抱き続けてきたという。そして、一時避難で偶然見つかった自分の船…康幸さんはその船を前に、ある決断をする。あの日から時間が止まったままのふる里。遠く山形へ避難した家族3代の揺れる思いを追った。
ナレーター:柳沢真由美
=再放送= 12月4日(日)11:00〜「BS日テレ」/12月4日(日)18:30〜CS「日テレNEWS24」
お知らせ