きょうは何の日
1906年(明治39年)11月17日「本田技研工業創始者・本田宗一郎が生まれた日」
本田宗一郎は、1906年(明治39年)11月17日、静岡県磐田郡に鍛冶屋の長男として生まれる。8歳の時に初めて自動車を見て自分で作りたいと思うようになる。

16歳の時に上京。湯島の自動車修理工場に丁稚奉公に出る。宗一郎はその真面目さと明るさがかわれ自動車の修理も任されるようになる。地道な努力で技術を磨き22歳で独立。地元に戻って自動車修理工場を立ち上げた。宗一郎のアイデアで車輪のスポークという部分は木製が主流だったが鉄製で作り特許を取得。青年実業家の仲間入りをする。そして29歳の時に小学校の教師をしていたさちさんに一目惚れをして出会ってまもなく結婚。
1946年(40歳)「本田技研工業」を設立。エンジン付き自転車を発明。試作品に妻・さちさんを乗せて意見を聞いていたりもしたようである。
1951年(45歳)には本田初のオートバイ「ドリームE型」を発売。オートバイレースの最高峰であるイギリスのマン島T・Tレースに参加。優勝を宣言しその後も挑戦し続け、7年後に見事優勝を果たす。
1958年(52歳)「スーパーカブ」を発売。初のノークラッチを発明し、片手運転が可能になった。
1963年(57歳)自動車製造を開始する。本田は安くて実用的な性能も高い大衆商品を次々生み出す。N360を筆頭に軽自動車ブームを巻き起こす。
1964年(58歳)四輪レースの最高峰F1に参戦する。ここでも世界制覇を成し遂げる。名実共に「世界のHONDA」となる。
1973年(67歳)社長を退任。
1989年(83歳)日本人初アメリカ「自動車殿堂」入りを果たす。
1991年、本田宗一郎永眠。享年85。
数々の本田語録は現在も語り継がれている。
「成功は99%の失敗に支えられた1%だ」
「石橋だと思ったらどんどんわたっちゃえばいい」
「100%ではなく120%を出せ」
「工夫発明は苦しみの中から生まれた汗である」
「大変な目標だ だからこそチャレンジするんだ」などがある。
