• 2015年12月 8日(火)OA
  • 山の手空襲で親戚を失った日
  • 羽佐間桃子(日本テレビ・アーカイブ)×祖父・羽佐間道夫(声優)

日本テレビの膨大な映像を管理するアーカイブセンターで働く羽佐間桃子さん(24)。彼女の祖父は、映画「ロッキー」シリーズのシルベスター・スタローンやnews every.のナレーションなどを担当するベテラン声優・羽佐間道夫さん(82)です。桃子さんから見た道夫さんは、「普通の82歳より元気」なおじいちゃん。戦争の体験は断片的にしか聞いたことがないため、今回の取材が初めてしっかり聞く機会となりました。

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太平洋戦争が始まった1941年12月8日当時、道夫さんは8歳、小学2年生でした。開戦の様子をラジオで聞いたと言います。

道夫さん「ラジオが『大本営発表~』って言うの。いかに戦果を挙げてきたか、ほとんど壊滅状態にしたという風に放送してたね。僕らはみんな小さいから『わぁ!』と喜んでいたわけだよね」
桃子さん「戦争それ自体に対してはどういう考え方を当時はしていたの?」
道夫さん「それは日本が正しいと思っているよ。絶対に正しい」
桃子さん「戦争にみんなが没頭していって、夢とかはあったの?将来何になりたいとか」
道夫さん「僕は戦時中、兵隊さんになろうと思ってた。みんな、『格好いいから俺は戦車隊長になる!』『いや、俺は飛行機隊長だ!』『俺はパイロットだ!』とか夢はそっちばかりだったね」

幼少期、道夫さんが住んでいたのは港区高輪。一時、長野に疎開していましたが、1945年の春、11歳の時に再び高輪に戻ってきました。実は、その年の3月には東京大空襲があり、その後、攻撃は高輪など山の手周辺に移っていました。

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たびたびあった空襲の中、道夫さんの自宅は無事でしたが、数軒隣には焼夷弾が落ちました。道夫さんはハタキを持って近所の家の火を消しに行ったこともあるといいます。

そんな中、道夫さんの忘れられない日がやってきます。それは1945年5月25日。「山の手空襲」と呼ばれる攻撃で、多くの親族を亡くしたのです。

その日、道夫さんは、いとこと3人で屋根の上からある光景を見ました。

「5月25日、屋根に上るとB29が編隊で前からダーッと上がってくるんだよ。僕は『あぁ、来やがった来やがった』と。どんどん頭上にやってきて、ついに真上に来たところでバッと腹を開くんですよ。すると焼夷弾がバラバラバラと落ちてくる。『逃げなきゃ!』と言うと、一番上のいとこが『大丈夫なんだよ。上で開いたやつは絶対ここに落ちないから』って。確かに、グーッと焼夷弾が流れていくんですよ」

焼夷弾は、高輪の北西、青山の方向へ落ちていきました。そこはおじ一家が住んでいた場所。

「『ありゃ!青山の方に行ったなぁ。まずい!』って言うんだ。そしたらやがて、青山の方がブワッと赤くなるわけだよね。『僕が先に見に行ってくる』といって、いとこが青山の方へ行ったんだよ」

この日、B29爆撃機460機以上が飛来し、東京大空襲の倍近い3258トンもの焼夷弾を投下、3200人以上が亡くなったといいます。
おじ一家の様子を見に行ったいとこは、青山周辺である光景を見たと話しました。

「帰ってきたいとことの証言によると、めちゃめちゃに遺体が折り重なって、誰が誰だか分からない。『おじさんはどうしたの?』と聞いたら、『みつからないんだよ』って。『じゃあ、おじさんたちも逝っちゃったのかなぁ』って言って『そうかもしれない』と。一日中、僕らはどうしたのかどうしたのかと思っていると、明くる日、おじさんが坂を上がってくるわけ。もう目は真っ赤になってね、ずっと上がってくるわけさ。『おじさん、みんなは?』と聞いたら...」
道夫さんは、ここまで話すと声を詰まらせ、目を閉じました。そして、黙ったまま首を横に振りました。この空襲で、おじは、長男以外の家族7人を失ったのです。

終戦は、その2ヶ月半後。家族を失ったおじは、玉音放送を聞いて泣き崩れたと言います。
「(おじは)『なんでこれを3ヶ月前に言ってくれなかったんだよ』って泣き伏すわけだよね。戦争の悲劇というものを目の当たりにしたわけだけど、いやぁ...戦争はいかん、というのが実感でしたよ」

戦後、道夫さんは、生計を立てるため、東京・新橋駅の近くで物を売ったといいます。駅前の広場では、食料などを手に入れていたといいます。その場所に孫・桃子さんを連れてきた道夫さん。
「ここはすごいところだったよ。どこから集めてくるのか分からないけど、魚があったり鶏があったり、卵があったり。マーケットで着物や衣服を売ってたり。ごったごただったね。カラフルな印象はあまりなくて、戦闘帽をかぶった人たちがうごめいているんだよね。明日はどうなるか分からない、そんな気持ちで。戦争によって被った一つの現象だったと思うなぁ」

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その後、道夫さんが物を売っていたという道路沿いの一角を訪れました。
「紙を巻いて(ロートのように)三角にした中に南京豆を詰めたやつをここに並べ、通る人たちに『いらっしゃい!ピーナッツいかがですか?』って。自分たちはパワーがあったよ。目的を持つ人はパワーがあると言うけれど、目的を持たなくてもパワーがあったっていうかな。とにかく生活をしていこうということで」

祖父の戦争体験を聞いた桃子さん。最後に、道夫さんに「改めて、自分が体験した戦争って何だったと思う?」と問いました。道夫さんの答えは...。

「戦争がもしなかったら、人間として、知力として、もっと成長できていたんじゃないかなと思うときがありますよね。もっと違うことでいろんなエネルギーを発散して、もっと国を前に進めることが出来たかもしれない」

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その答えを聞いた桃子さん。感じたこととは。

「本当に、何もなくて荒涼としていたであろう町が、そこから70年でここまで変わったという、その苦労は想像もつかないですよね。戦災にあった場所に行っても、本当にそういうことがあったんだろうかと...。大事な青春を過ごす時間を奪われるようなことがあっては絶対にいけないなと思いますし、これからも絶対にあってはいけないことだと感じました」

※文章中の年齢はOA当時