現地レポート

「青黒的倶楽部世界杯2008〜世界基準への挑戦(5)〜」

文/下薗 昌記

2008.12.18

ロスタイムに横浜国際総合競技場内の大型スクリーン映し出されたスコアを目の当たりにした67618人の大観衆は思わず目を疑ったに違いない。マンチェスター・ユナイテッド側に記された「5」の数字は、想定の範囲内のものだったが、ガンバ大阪が刻み込んだ欧州王者からの「3」は、「世界一」を求めていたゴール裏のサポーターでさえも予期していなかったはずだ。

ゴール裏を中心に陣取ったガンバ大阪サポーターを除けば、この日スタジアムに詰めかけたサッカーファンの大半が期待したのが、マンチェスター・ユナイテッドの勝利を前提とした華麗なショー。


今年のバロンドール、クリスチアーノ・ロナウド(Cロナウド)を中心にルーニーやテベスら豪華攻撃陣を擁する欧州王者を前に、ガンバ大阪は「脇役」に甘んじることを断固と拒否。85分間は「主演Cロナウド」の構図で進んだこの大一番を、ロスタイムを含めた終盤の約8分間は「主演遠藤保仁」で幕引きして見せた。

メキシコ人主審によって吹かれた試合終了の笛で場内に沸き起こった拍手は決勝進出を決めたタレント集団に対する賛辞だけではない。「ガンバのスタイルを出したい」(西野朗監督)。世界最高レベルの強敵を相手にしても、あくまでも掲げる攻撃サッカーを貫徹せんとする大阪の雄を労う思いが込められていた。他ならぬファーガソン監督も「観客にとっては、金を払っただけの価値がある試合だった」。

一方で、試合終了後の西野監督は、「長年尊敬してきた監督の一人」と称賛してきた「サー」に目もくれず、挨拶を交わすこともなしに足早にピッチを後にする。3対5――。そのスコアだけを見ればガンバ大阪が得意とする「打ち合い」だが、指揮官は「本気にさせた中で戦えなかったのが残念」と悔しげに言葉を紡いだ。

シュート数では、マンチェスター・ユナイテッドを5本上回る23本を放ち、ボール支配でも51%と上を行ったガンバ大阪だが、内容で見れば橋本英郎が語った「差がありすぎた」という分析がふさわしい完敗だった。

「もしかしたらボールに触らせてもらえないかも知れないし、相手の体に触れさせてくれないかも知れない」。独特な表現で、チーム力の差を認めていた西野監督だが、「ファーガソンはリスペクトしていることは変わらないが、僕自身も少しはキャリアを積んだ今があるわけで、特に意識することはない」。12年前はブラジル五輪を率いたブラジルの名将ザガロとの対峙を前に、特別にスーツ姿で挑み畏敬にも似た敬意を表した若き指揮官だが、今や日本国内はおろか、アジアの舞台でも押しも押されもせぬ名将として認識される存在だけに、「ファーガソンと言えども同じ土俵で戦う自分がいる」という言葉も決して強がりやハッタリには聞こえない。

サッカーはビックリ箱――。王国ブラジルには、一球のボールをめぐる悲喜こもごもをこんな格言で表すが、西野監督はこの日、ピッチ内にある「仕掛け」を用意していた。老獪な敵将をして言わしめた「私たちは遠藤がストライカーの後ろでプレーするということで準備してきたし、ルーカスが前に出ると思っていたのでびっくりした」の言葉。

このところ、「FW兼攻撃的MF」的な役割でチームをけん引してきた大黒柱の背番号7をあえて、ボランチに配置することで劣勢が予想されたガンバ大阪は立ち上がりから積極的に相手陣内に攻め入り、わずか3分余りで3本のシュートを放ち、リズムを手にする。

「若干、相手が慣らし気味だった」(播戸竜二)。本来のマンチェスター・ユナイテッドが見せる前方からの激しいプレスは鳴りをひそめ、ガンバ大阪は相手の圧力を受けにくい中盤の底から遠藤が起点となり、らしいパス回しを見せる。

11分に播戸がつかんだ一対一の決定機もフリーの遠藤が送り出したパスによるもの。「15分しっかり戦えれば」という指揮官の戦前の予想を上回り、20分過ぎまではほぼ互角の展開で試合は運ぶが、28分にCKから先制点を献上すると前半のロスタイムにもやはりCKからCロナウドが加点。

欧州王者に対しての2点のビハインド――。殴られたら殴り返すのがガンバ大阪のスタイルだ。後半18分に遠藤の直接FKをファンデルサールが辛うじてセーブしたこぼれ球を播戸が再度狙うなど、徐々にゴールの匂いが漂い始めてくる。0対2というごく平凡なスコアが大きく動き出す瞬間が後半28分にやってきた。ルーニーの投入でややマンチェスター・ユナイテッドの集中が途切れた隙を突き、右サイドを駆け上がった橋本の好クロスを山崎雅人が合わせて一点差に追いすがる。

9度前後と冷え込んだ真冬の横浜に一瞬だけ、流れ込んだかつて指揮官が奇跡を起こした「マイアミの熱気」が流れ込む。思わぬ形で頬を殴られた「赤い悪魔」は、本気ではないものの、この瞬間から「ムキ」になっていた。格と力量差では比較にならないアジアの新興クラブに一矢を報いることを許したのだ。「こっちが1点取ってからちょっと相手を本気にさせたというか、1テンポあげてきた感じがあった」(藤ヶ谷陽介)。最後尾で一番冷静に相手の圧力の有無を分析できる守護神が振り返ったように、この瞬間から怒涛の攻めがガンバ大阪を襲う。山崎の追撃弾に冷や水を浴びせるようにルーニーが技ありのゴールで突き放すと、わずか5分間で3得点の猛攻。

Cロナウド、ルーニーらスターによるゴールラッシュは待ち望んだ展開だけに場内は完全に赤一色に染まった感さえあったが、「優勝したい」と意気込んだ背番号7の言葉に嘘はなかった。播戸のクロスをネビルが手で触ってPKを献上すると、「コロコロPK」を期待する場内に無数のフラッシュが光る。「落ち着いて蹴れた」。名手ファンデルサールとの読み合いを制して、2点目をもぎ取ると直後にも枠内を襲う強シュートを放つ。「どんな相手でも立ち向かえば点は取れる」(遠藤)。ボランチながらチーム最多の5本のシュートを放ち、その全てが枠をとらえる高い精度を示した大黒柱に刺激されたように、チーム全体の出足は止まらない。大勢が決したロスタイムには山口智のインターセプトからルーカスを経由して、橋本がダイレクトプレーを完結し、3点目をもぎ取って見せた。

「簡単に点を取られてしまった。攻撃というよりはディフェンスの面で差を感じることは大きかった」と山口が振り返れば、遠藤は「完全に(相手が)本気かというと違うと思うけど、スピードや止めて蹴る速さとかを肌で感じることができたのはよかった」。

5つの失点機で学んだ教訓と3つの得点で得た自信――。ピッチに立った12人と指揮官はこの日、確実に「世界基準」を垣間見た。

遠藤は言う。「(試合の)点数をつけるのは難しいけど、これから先に間違いなく生きる貴重な経験になった」。

アタッキングサッカー・マスト・ゴー・オン。まだその矜持を世界に示す場はガンバ大阪に残されている。


●下薗 昌記(しもぞの まさき)・・・1971年大阪市生まれ。ブラジル代表とこよなく愛するサンパウロFCの「芸術サッカー」に魅せられ、将来はブラジルサッカーにかかわりたいと、大阪外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科に進学。全国紙記者を経て、2002年にブラジル・サンパウロ市に居を構え、南米各国でのべ400を超える試合を取材する。2005年8月に一時帰国後は、関西を拠点にガンバ大阪やブラジル人選手、監督を対象にサッカー専門誌や一般紙などで執筆。日本テレビではコパ・リベルタドーレスなど南米サッカーの解説も担当する。