放送内容

2016年3月30日 ON AIR

忽然と消えたスクールバス

アメリカ カリフォルニア州 チャウチラ。
いつも通り、元気に学校から帰るはずだった子どもたちが 忽然と消えた。
それは綿密にして大胆な計画。犯人グループの狙いはなんなのか?


"子ども達はどこへ消えたのか?"


1976年7月16日。
授業を終え、子どもたち31人を乗せたスクールバスが午後4時過ぎに学校を出発。
教師が見送り、チャウチラの町をいつものルートで走り子どもたちを降ろしていく。


3つ目の停留所で降りたエドワードは、5人目。
そこまでは確実に目撃されているが、次の停留所にバスは来なかった。


子どもたちが帰ってこない。親からはそんな問い合わせが相次ぐ。
平和な街がパニックになろうとしていた。
バスには女の子19人、男の子7人、あわせて26人の子ども達が乗っていた。
最年長は14歳のマイク。


運転手はこの仕事29年になるベテランのエド。道を間違えるはずなどなかった。
学校からの通報を受けて、警察も動き出した。


さらに事件のことを聞きつけ、チャウチラの街には報道陣が押し寄せていた。
鳴りっぱなしの電話は、捜査状況を問い合わせるもの。
犯人からの連絡がなく事件と断定できずにいたがこのとき、
すでに子どもたちは危険にさらされていた!


犯人からの連絡もなく
事件と断定できずにいた午後8時に事態は急転する。
行方不明だったスクールバスが見つかったのだ。


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しかしバスの中には誰もいなかった。子どもたちのカバンが少し残っているだけ。
その空っぽのスクールバスが発見されたのは、チャウチラから15キロ離れた場所だった。
事件であることはもう間違いないのか?親たちも大きな不安に包まれていた。


"採掘場でコンテナに閉じ込められる"


実はその頃チャウチラから遠く離れた街を2台のバンが猛スピードで走っていた。
そこには最年長のマイクの姿が。さらに荷台には子どもたちが押し込まれていた。
そして、エドの姿も。一体何が起きたのか?


実は...
午後4時過ぎ。3つの停留所で5人を降ろしたバスはいつも通りのルートを走り、
次の停留所に向かっていた。


するとその行く手に1台のバンが道を遮るように停車している。
そして突然、マスクをつけた3人組がスクールバスを襲った。
エドと前の方のいた子どもたちは後ろへ移動させられ、
犯人の運転で、乗っ取られたバスは人目につかない道へ。こうして27人は誘拐された。


そしてチャウチラから15キロ離れた場所に着くと、
犯人たちはエドと子どもたちをバンに移す。そして車の外から鍵をかけ、
犯人はひたすらに走り続けた。


こうしてバンは160キロ離れた町に入っていた。
暑い荷台での移動はなんと11時間。


午前3時。2台のバンはある静かな採石場に到着。
そして運転手のエドと26人の子どもたちは人1人が入れるほどの穴に
入るように指示される。はしごがかけられているその穴に何があるのか?


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そして全員がかなりの深さと思われるその奥へ。
穴の先には広い空間が広がっていた。ここはなんなのか?


実は犯人はトレーラーごと地中に埋め、27人をその中に押し込んだのだ。
トレーラーの中には何袋かのポテトチップスとバケツに入れられた不衛生な水、
それだけが置いてあった。


そして、犯人によって入り口が閉じられた。
こんなに手の込んだ計画を立てた犯人たちの目的はなんなのか?
閉ざされた出入り口はびくともしない。


"子ども達は自力で脱出!"


事件発生から20時間。
全く動きのない犯人に警察の捜査は混乱していた。


その頃、犯人グループは動き出していた。そろそろ電話をする頃合いの時間。
メモには身代金要求のコメント。要求金額は500万ドルだった。
当時の日本円に換算するとおよそ15億円。


主犯フレデリックの作った原稿を何度も繰り返し練習すると、警察へ電話をかけた。
ところが何度かけても繋がらない。
チャウチラの街に次々にアメリカ中からかかってくる電話。これで回線がパンクしていた。


犯人もこれでは身代金要求ができない。
しかし焦りは禁物と徹夜で疲れた頭と体を休ませる。


一方子どもたちは、閉じ込められて10時間。
食料も水も尽きた。この先はただ衰弱していくだけだった。
すると、入ってきた穴から土が落ちてきた。


望みがあるとしたらやはりあそこしかない。
残った体力を全て集中させると...重い鉄板がわずかに動いた。
最年長のマイクが先頭を切って細い体を駆使して上に登った。


そして小さな木の棒で少しずつ土砂をかき分けるマイク。
外の光を求めて、子どもたちも祈る。


そして掘り始めて5時間。とうとう開いた!
閉じ込められて16時間近くが経っていた。
体は衰弱していたが、子どもたち26人は大きな怪我もなく、全員助かったのだ。
家族と対面できたのはそれからさらに9時間後、午前4時のことだった。


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"40年後も被害者の心の傷は消えない"


その頃犯人グループは誘拐した27人が逃げたことに気付いていなかった。
あまりに綿密な計画を徹夜続きで準備していたため、疲れが一気に出ていたのだ。


報道を見た犯人たちは慌てて逃亡。
一方、警察の捜査の手は直ちに監禁場所へ。
そして採石場で穴を掘っていた犯人たちを目撃した人が現れた。


こうして警察はフレデリックの自宅へ。
実は彼は有名な大富豪の息子で、父親は採石場の持ち主だった。
フレデリックの部屋には犯行を決定づけるものが隠されていた。
それは身代金を要求するメモの下書き。


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こうして、主犯フレデリック・ウッズと友人のジェームズ、リチャードの
ショーンフェルド兄弟は指名手配からまもなく逮捕。
金欲しさの短絡的犯行とされたが彼らは何も語らず、3人は終身刑となった。


このおそろしい事件から、40年。誘拐され閉じ込められていた子どもたちは、
事件が大きな心の傷となった者も少なくないという。
被害者にとって事件はまだ終わっていない。


そして現在、ショーンフェルド兄弟は、すでに仮釈放。
主犯のフレデリック・ウッズは昨年11月に仮釈放を求めたが棄却され、今なお獄中にいる。

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