放送内容

2017年4月 4日 ON AIR

密室の取り調べ 検察の捏造の真実

ある日、突然身に覚えのない罪で逮捕されてしまった女性。
その罪は検察による捏造だった。
これは自らの信念を貫き、絶対権力と戦い続けた女性と家族の454日の記録。


まさに、あってはならない作られた事件だった。
郵便不正事件...厚生労働省が組織的に郵便料金の不正に関わったとされたが、
その1年半後...逮捕起訴された後、一転、犯行の事実はなかったとされた。


なぜ厚生労働省の星との呼び声が高かった村木厚子さんがターゲットにされたのか?


"きっかけは障害者団体証明の発行だった"


2004年、東京にあった障害者団体を名乗る、「凛の会」の中でこんな会話が交わされた。
「ダイレクトメールを会報に同封すればたった8円で出せる。」
凛の会・会長はこの儲け話にのった。


郵便法では、障害者団体のための割引制度がある。
通常、一通120円かかる定期刊行物も、この制度を使えば僅か8円で出せるのだ。


凛の会はこの制度を悪用し、ダイレクトメールを送りたい企業に声をかけ
120円かかるものを8円で送り、その差額と広告費で多額の利益を得ようと考えた。


但しこれを実行するには、厚生労働省が発行する障害者団体証明が必要だった。
そこで凛の会は、証明書の発行を厚労省に申請。


この件の担当者だった係長は当時、初めての予算の作成に追われ
その証明書の発行を先送りしていた。


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度重なる催促...しかし、証明書を出すには6人以上の上司の決裁が必要。
追い詰められた係長は正規の手続きを踏むことなく、他の職員がいない時間に、
当時、企画課長だった村木の印を勝手に押し、自分一人で仕上げてしまった。


これは犯罪行為。
そして、その日のうちに凛の会に証明書を渡した。
係長による単独の判断、単独の犯行、これが事件の真相だった。


この偽造証明書を使った郵便不正事件が5年後、発覚。
捜査に乗り出したのは大阪地検特捜部。巨悪摘発のプロ集団。
検察の中でも優秀なエリート検事が集められている。
日本でもトップクラスの捜査機関とされてきた。


大阪地検特捜部は、凛の会関係者など10人を郵便法違反容疑で逮捕。
不正に得た利益はおよそ211億円にのぼっていた。
このとき...特捜部はこの事件には黒幕がいるとみて、ある人物の摘発に動き出していた。


"身に覚えのない罪で追い込まれる女性"


村木厚子、厚労省の局長で当時53歳。
厚生労働省の星との呼び声も高かった彼女。
同期入省組としてはトップグループで局長に就任していた。


家庭では...2人の娘の母、厚労省の同期入省の夫の妻として
忙しくはあるが、充実した生活を送っていた。


2009年5月26日。
この日ついに、証明書を偽造した容疑で係長が逮捕された。
これで事件は全て明らかになる。ハズだった...が!
事態はとんでもない方向へ進んでいく。


なんと、証明書に村木の公印が押されていたことからマスコミは上司の村木を追い回した。
国会でも追及を受けるようになっていく。
自宅にも記者たちが押し掛けた。


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検察はなぜか村木を呼ばず、周りの職員や元の上司を事情聴取していた。
自分の知らないところで一体、何が起きているのか?


村木は弘中惇一郎弁護士に相談した。
弘中惇一郎弁護士は社会的に注目を浴びる数々の裁判で実績を残してきた人物。


自分の身の潔白を弘中弁護士に伝えていた頃、
ついに村木が事件に関与しているという話も流れ出した。
あの係長が嘘の供述でもしたのか?


"架空の物語を作り上げた大阪地検特捜部"


実はこの事件には変えることのできない3つの事実がある。
1つ目は2004年6月8日に凛の会が日本郵政公社に申請書類を提出した際、
障害者団体の証明書を出さなかった事。


2つ目はその2日後の6月10日に証明書を提出したこと。
3つ目は係長が作成した偽の証明書の日付が5月28日だったこと。


大阪地検特捜部は、この3つの事実を巧みに利用し
なんと架空のストーリーを作りあげていた。


そのストーリーとは、まず凛の会の会長がある人物と会う所から始まる。
相手は石井一衆議院議員(当時)。実は凛の会・会長は石井議員の元秘書だった。
そして、石井議員は面識のあった厚労省の担当部長に電話した。


部長は当時企画課長だった村木を呼び、村木課長の案件となった。
2004年6月8日、凛の会は村木課長が動いているので証明書無しで、
障害者割引を承認してもらえると考えたが、証明書が必要だと郵政公社から指摘され、
村木が係長に正規の手続きを踏まなくてもいいからすぐに作れと指示。


そして、係長は凛の会が希望したとおりに5月28日に遡った証明書を作成した。
その正規のルートを踏んでいない証明書を自分の席で凛の会・会長に渡し、
凛の会は6月10日、不正入手した偽の証明書を郵政公社に提出した。
これが検察が作り上げたストーリーだった。


事実は係長が単独で証明書を作っただけなのに全く関係のない石井議員と村木を
入れ混んだのだ。


検察はこのねつ造したストーリーを真実とし、
女性キャリア官僚のエース、村木厚子を偽の証明書を発行した犯罪者に
仕立てあげようとしていた。


2008年6月13日、この日、夫は海外出張中で自宅には二女と二人だけだった。
そんな時、大阪地検から電話が。事情聴きたいから明日、大阪に来て欲しいとの事だった。
村木は説明したらわかってくれる、そうしたらこの騒ぎも治まると思っていた。


しかし、電話があったその日に大阪に入り地検に出向こうとしていた翌朝。
ホテルで朝刊を開くと...信じられないことが書かれていた!


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「週明けに事情聴取」...一体どういうことなのか?
まさか、このまま長い間家に帰れなくなるとは村木は思ってもいなかった。


"犯人と決めつけられた取り調べ"


大阪地検に着くと、とんでもない聴取が待ち受けていた。
この取り調べは村木が指示した事件であると決めつけられていた。


そして容疑を認めたら帰す、そう検事は伝えた。
しかし村木は否認を続けた。


検察は村木を虚偽有印公文書作成、同行使の事実で逮捕。
それは村木から係長へ偽の証明書発行の指示があったとする罪だった。
東京へ帰るつもりでいた新幹線のチケットも取り上げられ、村木厚子は逮捕された。


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それは454日にも及ぶ彼女の孤独な闘いの始まりでもあった。
村木の逮捕は速報で伝えられた。


村木が入れられたのは通称・カメラ房と呼ばれる広さ2畳半ほどの独房。
24時間カメラで監視されたのは自殺防止のため。


なぜ自分には何の心当たりもないのに逮捕されたのか?
職員や係長は一体、取り調べで何をしゃべっているのだろうか?
村木の心には疑念が湧きあがっていた。


翌日、大阪地検特捜部が厚労省に家宅捜索。
家宅捜索は自宅マンションにも及んだ。


調書はあくまで検察側が想定したストーリーに当てはめながら、
それに合う言葉を拾っていくものだった。
「会った記憶はない」と言っても、「会ったことはない」と調書では断定。
ニュアンスも変えられた。


この時点で認められていたのは弁護士との接見のみ。
弁護士からニュアンスを変えられた調書にサインをせず粘り強く抵抗する様に
アドバイスを受けた。


取り調べは連日夜の10時まで続く。
みんなが寝静まった頃、刑務官に連れられて拘置所の独居房に帰るという毎日。
その頃、検察側のストーリーに沿った具体的な報道が連日流され、
事件の諸悪の根源は村木だという印象が効果的に流布されていった。


取り調べが始まって11日目...取調官が別の検事に替わった。
検事は一方的に検察が描いたあのストーリーを村木に細かく説明した。
あくる日、この検事は厚労省職員数人の供述調書を持ち込んでそれを読み上げていった。
そこには村木から指示されたということが生々しく書かれていた。


"取り調べに耐える日々。そして重大な証拠に気付く"


弘中弁護士はチームを組んで東京から毎日、大阪まで面会に来て様々なアドバイスをした。
村木が毎日受ける身に覚えのない内容の取り調べ。
他の逮捕者はそんなウソを本当に言ったのか?


弘中弁護士は検事が勝手に作文をしている可能性があると村木に伝えた。


もちろん全ての検察がそんな事をしている訳ではない。
しかしこの事件に関しては、5年前も前の出来事で誰もが自分の記憶に自信がない中、
脅しや嘘を巧みに使い検察に都合のいい調書が作られていったのだ。


連日、夜遅くまで続く取り調べの中で村木を支えたのは...娘たちの存在だった。
将来、娘たちが今の自分のような困難に遭遇したとき、
『あの時、お母さんも頑張った。大丈夫、私も頑張れる』と思ってもらいたい。
将来の娘たちのためにここで頑張らないといけないと思った。


否認を続ける村木だったが、大阪地検は起訴を決定。
村木は20日間、何とか嘘の自白調書をとられないように頑張った。


起訴後、接見禁止が解け手紙を受け取ることも出すこともできるようになった。
結婚して30年...。夫との初めての文通。
文通はいつの間にか100回を超えた。


そして二女は夏休みの間だけ大阪にマンションを借りて住むことに。
予備校の夏期講習を大阪校で予約し毎朝、面会に来てくれた。


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拘置所に拘留されて4か月...3度目の保釈申請でようやく裁判所が保釈決定を出したが
検察が保釈を取り消すよう申し立てをしたことで拘留が解かれることはなかった。


「凛の会」関係者やあの係長は起訴後、速やかに保釈された。
つまり、事件への関与を認めなかった村木に対する検察の報復と言えた。


しかしその頃、村木は重大な証拠に気付く。
村木は、検察の証拠が開示されるたびに、そのコピーを届けてもらい、
何度も、何度も目を通していた。


その中に...気になる捜査報告書があった。
それは係長の自宅から押収したフロッピーディスクにあった偽の証明書を保存した
日付データをプリントアウトしたものだった。


検察が言っていたのは...2004年6月8日に郵政公社が証明書を提出するように
指摘されたので凛の会が村木に証明書を作ってくれと依頼した。
そして、6月10日に郵政公社に証明書を提出した。


つまり村木の指示なら証明書は6月8日から10日の間に作られていないとおかしい。
しかし、フロッピーの日付は6月1日。
村木が指示したとされる日より1週間も前だったのだ。


遂に見つけた検察側ストーリーの綻び。
やはりこの事件は検察のでっち上げに違いない。
村木は身に覚えのないこの事件の闇が見えたような気がした。


"裁判で崩れ去った架空のストーリー。そして..."


2009年11月。4度目の申請でようやく保釈が決定。
164日に渡る拘留が終わった。
およそ半年振りの外の世界。家族も村木の頑張りを称え、優しく迎えた。


年が明けていよいよ裁判が始まった。検察と村木、全面対決の始まりだった。
無罪を主張する村木。そして、弁護側はあのフロッピーの日付の矛盾について追及した。
6月8日に村木に証明書をお願いしたはずなのに証明書作成が6月1日になっていたこと。


これをきっかけに検察のねつ造したストーリーは次々と崩れ去っていく。
石井議員から電話を受け、村木に指示を出したとされる部長が
検察側の証人として出廷したが供述を翻した。


そして、一連のきっかけとなった係長の証人尋問では
証明書の偽造は自分の独断でやったと話しているのに、調書ではそうなっていない事を
指摘しても聞いてもらえなかった。そう語った。
この係長も、取り調べで嘘を言ったわけではなかったのだ。


さらに検察のストーリーを根底から覆す証人が遂に登場する。
それは石井一参議院議員。
検察の筋書きでは...2004年2月25日午後1時に凛の会・会長と会う、
としていたが、石井議員はこれを否認。


石井議員は過去30数年、その日に会った人の名前とその時間・内容を細かく
手帳につけていた。


弘中弁護士はこの手帳を証拠品として提出。
2004年2月25日は7時56分から古賀一成衆議院議員とゴルフをしていた。
となっている。ゴルフ場を出たのが午後4時頃。それから急いで東京に帰り、
懇親会に出席しており、議員会館で凛の会の会長と会っていないという事が証明された。


2010年9月、判決が言い渡される日。
傍聴券を求めて、500人の長い列ができた。


判決は無罪。
大阪地裁は検察側のストーリーの大半を否定。
逮捕から454日目の大逆転だった。


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村木は1年半におよぶ闘いの終結にようやく安堵した。
しかし都合のいい調書を取った検事たちは罪に問われることはなかった。
しかし、特捜部の主任検事が問題のフロッピーディスクの日付を6月1日から
6月8日に書き換えたことが判明し、証拠隠滅の罪で逮捕された。


一方その日、村木は1年3か月ぶりに厚労省に復職。


そしてこの事件は主任検事逮捕から10日後、大阪地検特捜のトップである部長、
副部長を犯人隠避容疑で逮捕するという検察史上類をみない不祥事に発展した。


そして、村木厚子さんは仰天ニュースにメッセージを寄せてくれた。


「警察官や検察官による密室での取り調べは大きな問題を抱えています。功名心からだけではなく、『犯人を突き止めたい』『自白を取って証拠を固めたい』という職業的な使命感の強さが無理な取り調べを生み、無実の人を嘘の自白に追い込んでいます。私の事件でも、PC遠隔操作の事件でも、無理な取り調べによって、二人に一人が、事実とは違う調書にサインさせられました。できる限り早く、すべての事件で録音・録画が行われ、無理な取り調べによる冤罪がなくなることを心から願っています。」

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