北京五輪まであと1年…。
金メダルが期待できる競技といえば“柔道”“レスリング”“体操”… いわば日本のお家芸。
だが、日本発祥のスポーツでありながら金メダルを獲得していないお家芸がある。
その競技は 「KEIRIN」
日本のお家芸 「競輪」が世界のスポーツ「KEIRIN」へと変化を遂げたのは2000年のシドニー五輪。
だが…その表彰台に日本人選手の姿はなかった。
その後のアテネ五輪では「チームスプリント」で銀メダルを獲得したものの「KEIRIN」では惨敗。
あれから8年…
お家芸の意地とプライドを賭けて闘う時がやってきた。
…舞台は「北京」だが、誰がその使命を受けるのか?
ナショナルチームに入ることのできる人数は限られている。
翌年の北京五輪を控え、今、国内で熾烈な代表争いが行われている
番組ではその熾烈な日本代表の座を争うアスリート達に密着!
太股70センチ…五輪に照準を合わせた日本競輪界を背負う男
アテネ五輪の屈辱からリベンジに燃える男の復活劇
そして現れた競輪界の若きプリンス!
時速70キロを超える世界に魅せられた男達の夢や日の丸を背負うことへの重圧。
そして、世界の強豪を迎え行われる、国際競輪やアジア大会での強豪外国人選手VS日本選手の北京前哨戦を追う―

世界への登竜門 “チャレンジ・ザ・オリンピック”

北京五輪に出場する日本代表を決める第一次選考会 「チャレンジ・ザ・オリンピック」。選考はタイムトライアルで行われ、成績上位者だけが二次選考会に残ることが出来る。ナショナルチーム経験者でさえ結果によっては落選するまさに生き残りをかけた闘い。
そこにエントリーしてきた三人の選手に注目した。

競輪界No.1の太股を持つ男 小嶋敬二

選手写真競輪に関わる人たちに「今の競輪選手の中で誰が一番強い?」という質問をすると、ほとんどの人が「小嶋敬二」と答えるだろう。彼は、37歳にして今もなお競輪界のトップに君臨、競輪界随一という74センチの太股を武器に、今年のGIレースを勝ちまくっている。
競輪界では無敵を誇る男が、今年の「チャレンジ・ザ・オリンピック」にエントリーしてきた。
なぜ小嶋がこの年でオリンピックを目指すのか?
その問いに彼は、「競輪で一番強い奴がオリンピックに出るべきだ」と答えた。
小嶋は元々アスリート志向の強い選手。1992年バルセロナ五輪では1kmタイムトライアルで10位という成績を残している。プロに転向後も国際競輪などの海外強豪選手が出場するレースで奮闘している。
だがオリンピックに出場するということは、国内の競輪レースを犠牲にしなくてはならない、収入も確実に減るであろう。
しかし小嶋にはそこまでしてでも五輪でメダルを目指す理由があった…。

競輪界のニューヒーロー プリンス佐藤友和

選手写真今年、競輪界にニューヒーローが誕生した。その選手の名は佐藤友和。
2月に行われた東西王座決定戦で、西の王座となったのは小嶋敬二。そして東の王座に輝いたのが弱冠24歳の佐藤友和だった。佐藤にとっては初めてのビッグタイトル。
独自の練習メニューを取り込み、知力と実力、そして甘いマスクを兼ね備えた人気選手。
その男が次の目標に選んだのがオリンピックだった。
佐藤がオリンピックを目指した理由。それは「小嶋選手みたいなベテランが日本代表に選ばれるようだと、日本がなめられる」さらに「オリンピックを目指すなら、タイトルを獲った今しかない」と佐藤は考えた。
自分の実力と時期が合致した佐藤に怖い物は何もなかった。満を持して出場したチャレンジ・ザ・オリンピックでは初めての250メートルバンクにも関わらず、好タイムを記録。
彗星のごとく現れたニューヒーローが日本にメダルをもたらすことができるのか?

帰ってきたメダリスト 長塚智広

選手写真2004年アテネ五輪で銀メダルを獲得したチームスプリント。勝負の分かれ目は99%が第一走者のスタートにかかっているといっても過言ではない。アテネで長塚が記録した第一走者のタイム「17秒5」は出場選手の中で第一位。長塚の“世界一のスタートダッシュ"が日本に銀メダルをもたらしたのだ。
その長塚はアテネ以降、銀メダルを獲った達成感からナショナルチームを離脱していたが、最近、国際舞台に出ていく日本選手達の不甲斐ない成績を見て、復帰することを決意したのだ。
だが、メダリストとはいっても優遇はされない。チャレンジ・ザ・オリンピックに出場して結果を残さ
なければならないのだ。彼は3年のブランクを克服することができるのか?
帰ってきた世界最速の男が再びオリンピックの舞台へ進むことができるのか?

代表に生き残れるか!?代表に生き残れるか!?マニエジャパン合宿に潜入!に潜入!

チャレンジ・ザ・オリンピックも終わり、17名の強化指定選手が選ばれた。
この強化指定選手の中から、北京に向けてのナショナルチームのメンバーが選ばれるのだ。
そこには代表復帰を図る長塚智広やニューヒーロー・佐藤友和の名前もあった。
チャレンジでタイムを残せなかった小嶋敬二は残念ながら選考から漏れてしまった・・・
だが強化指定選手に選ばれたからといって安心はできない。
この中で最終的にナショナルチームに残れるのはわずか5〜6名程度なのだ。
その代表のイスを視野に入れたマニエジャパン合宿が修善寺の250mバンクで8月に行われた。
新生マニエジャパンの秘密合宿と選手生活の舞台裏にカメラが潜入する。

写真写真写真


次のスターは君だ! デビュー戦奮闘記

写真4月に競輪学校を卒業した75名の92期生たち。
競輪学校で一年間みっちりと鍛えた肉体、技術、精神力を携え、プロの世界に突入だ。
そんなルーキーたちを待ち構えている第一関門が7月のデビュー戦。家族や地元の期待を背負い、プレッシャーに打ち勝つことができるのか?


親孝行のために… 舟元権造(大阪)

舟元は6人兄弟の次男として生まれた。だが、彼が高校生の時に両親が離婚。
子供全員を母親が引き取り育ててきた。まだ中学生の妹もいる家族の生活は決して楽ではない。東京に働きに出ている長男の代わりに、舟元が母親、兄妹の生活を支えなければならない。もちろん競輪というプロの世界で稼ぐ賞金で…。家族が見守るデビュー戦。果たして結果は?

亡き祖父に勝利を捧ぐ… 柴田洋輔(東京)

92期生、在校成績1位の柴田洋輔。もちろん卒業後の目標はデビュー戦勝利。
柴田が競輪選手になると決めたとき、銀行勤務の両親は大反対だった。競輪に対していいイメージを持っていなかったのだ。だが、そんな時、両親を説得してくれたのが祖父の三夫さん。
忙しい両親に代わり柴田を育て、孫の夢を応援する良き理解者でもあった。
その期待に応えるべく柴田は懸命に頑張り、競輪学校で在校1位という成績を見事収めた。
だが、その祖父が昨年10月病気で他界。柴田は祖父の死に目に遭うことができなかった。
卒業レースでは祖父の遺影を家族が抱え観戦、しかし、優勝することはできなかった。
天国で応援してくれている祖父のため、柴田はデビュー戦を勝ちに行く!