第3章:印象派

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  • 本章にはモネ、ルノワールなど、おなじみの印象派の画家たちによる親しみやすい作品が集められています。そのうちの多くは画家自身の子どもを描いたものです。モネは基本的に風景画家で、人物画は少なく、それだけに我が子を描いた、今回出展の3点の作品は貴重なものといえるでしょう(no.8など)
    逆に年とともに人物画にシフトしていったルノワールは自分の子(ジャンとクロード)を繰り返し、それも衣装やポーズなどにひと工夫もふた工夫も凝らして描いており、我が子への思い入れの強さを感じさせます。マネの弟ウジェーヌと結婚したベルト・モリゾは一人娘のジュリーを慈しむように繰り返し描いています。一方、エルネスト・ルーアールは、全8回の印象派展のうち7回に参加した画家アンリ・ルーアールの子で、後にモリゾの娘ジュリーと結婚しました。ジュリー自身も、母親あるいはルノワールゆずりの色彩とタッチで人物や風景を描いています。
    no.8 クロード・モネ《玉房付の帽子を被ったミシェル・モネの肖像》
    no.9 ベルト・モリゾ《庭のウジェーヌ・マネとその娘》
    no.10 ピエール=オーギュスト・ルノワール《ジュリー・マネの肖像、あるいは猫を抱く子ども》
    作品名をクリックすると、詳細ページへリンクします。
  • 風景を得意としたモネに人物画家のイメージはあまりないが、風景の中の人物や、最初の妻カミーユの肖像など、折りにふれて人物も描いてる。ルノワールと違い、モネの人物・肖像画には他人からの注文によるものは少なく、大半が家族の肖像である。モネは最初の妻カミーユとの間にジャン(1867年生まれ)とミシェル(1878年生まれ)の2人の子をもうけたが、元々病弱だった妻カミーユはこの翌年、32年の短い生涯を閉じた。カミーユが病床にあった頃、かつてのパトロンが破産し、その妻アリスが6人の連れ子とともに転がりこんできた。モネは後にアリスと再婚するが、日傘をもって野原を散歩する娘の有名な絵など、アリスの娘たちも再三描いている。本展にはジャンが1点、ミシェルが2点、合わせて3点が展示されるが、ここに示すミシェルは当時2歳。もう1点のミシェルは5歳の時のものである。一方、11歳年長のジャンは当時(1880年)13歳。いずれも小品で、公開したり、ましてや売ったりする意志のない、いわば極めて私的なファミリー・アルバムにふさわしい作品である。
  • ベルト・モリゾは印象派を代表する女流画家で、全8回の印象派展のうち、ドガ、アンリ・ルーアール(今回出品のエルネスト・ルーアールの父)とともに、モネ、ルノワール、セザンヌを凌ぐ7回に出品している。1874年、第1回印象派展の年にモリゾは画家マネの弟ウジェーヌと結婚。若い画家たちの導きの星であり、時代の先端を行くこの画家を「身内」に迎えたことはモリゾにとっても極めて意義深いものがあった。モリゾは夫との間に一人娘のジュリーをもうけたが、当然のように彼女を溺愛し、幼い頃から成人するまで繰り返し彼女を描いている。特に1892年に夫が他界し、3年後に自らが没するまでの数年間は文字通り一心同体の絆で結ばれていた。ジュリーをモデルとしたモリゾの作品のうち、夫と一緒に描いたものは数えるほどである。これはその内の1点で、庭でくつろぐ父と娘を描いているが、こうした状況設定自体が極めて印象派的である。細部にこだわらない印象派特有の軽快なタッチと、「外光派」にふさわしい明るさをたたえた画面で、モリゾらしさが最もよく出た作品のひとつである。
  • この絵のモデルは印象派の女流画家ベルト・モリゾとその夫ウジェーヌ・マネ(画家エドワール・マネの弟)との間にできた一人っ子のジュリー・マネ。母親のモリゾはその成長を見つめるように、彼女を再三描いているが、この絵はモリゾと親交のあったルノワールに注文したもの。いつもより「気合い」が入っていたのか、ルノワールにしてはめずらしく、この肖像のための習作デッサンが何点かある。この頃のルノワールは印象派様式に対する一種の反省から、またイタリアで見たラファエロや古代美術の影響もあり、輪郭線をしっかり取った、古典派のアングル風の様式に傾いているが、この肖像ではそれは顔の部分にうかがえる。しかしそれ以外は印象派風の柔らかなタッチでまとめている。ジュリーの膝の上で気持ちよさそうに目を閉じている愛らしい猫も捨てがたいが、ルノワールの絵で、若い女性と猫の取り合わせはほかにも何点かある。ジュリーが1893年からつけ始めた「日記」は、印象派関係の貴重な資料として今も読み継がれているが、ジュリー自身も絵を描き、母モリゾよりもむしろルノワールを思わせる華やかな色彩と柔らかなタッチの人物や風景を残している。