第4章:ポスト印象派とナビ派

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  • ポスト印象派とはセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンとその周辺の画家を指す言葉ですが、ゴッホは生涯独身で、子どもはなく、ゴーギャンはある時点から妻と子どもたちとは別居状態になるので、自分の子どもをモデルとした絵はそれほど多くはありません。 一方、セザンヌはひとり息子のポール(no.11)と妻オルタンスとの3人住まいで、ポスト印象派のどの画家よりも自画像と妻と息子の肖像を数多く描いています。ボナール、ヴュイヤール、ドニの3人はナビ派の中でも親しみやすい家庭的な情景を好んで取り上げたため、アンチミスト(親密派)と呼ばれています。このうち、ボナールは結婚はしましたが、子どもはなく、ヴュイヤールは生涯独身でした。したがって2人が描いたのは他人の子ですが、2度の結婚で10人近い子の父となったドニは絵に描いた家族のアルバムでも作るように、子どもたちを(時に妻もまじえて)繰り返し描いています。数だけでなく、子どもたちの衣装、ポーズ、表情、あるいは屋内、屋外などの舞台設定の多様性という意味でも、ドニはピカソとともに、古今最大の子どもの画家の一人といえるでしょう。
    no.11 ポール・セザンヌ《芸術家の息子の肖像》
    no.12 モーリス・ドニ《トランペットを吹くアコ》
    作品名をクリックすると、詳細ページへリンクします。
  • モデルは画家の一人息子で、セザンヌがパリで知り合ったモデルのオルタンス・フィケとの間に生まれた子である。1872年、セザンヌが33歳の時の子であるが、この時点ではオルタンスとはいわゆる内縁関係で、彼女と正式に結婚したのはそれから10年以上後であった。セザンヌが好んで描いたのは初期の一部の作品を別にすれば風景、静物、肖像、それにヌード(裸婦とは限らず男性ヌードも多い)にほぼ限定されるが、彼の場合、注文による肖像は皆無に近いので、モデルは彼自身か、オルタンスか、ポールに限定される(若い頃は両親も描いたが)。一人息子のポールに寄せるセザンヌの愛情は彼に宛てた数々の手紙にも感じられるが、息子を描いた作品もまたその証となっている。とはいえ、セザンヌは我が子に寄せる個人的な思い入れや愛情を表立って描くことはない。この絵でも画家の関心はもっぱらモデルをいかに造形的に表現するかにある。彼の肖像の多くがそうであるように、ここでもポールは一見無表情である。タッチも色彩ももはや印象派的とは言えず、セザンヌならではの緻密で堅固な画面が構成されている。
  • ボナール、ヴュイヤールなどとともにドニはナビ派の代表的な画家として知られるが、ナビ派の中でも彼らはまたアンチミスト(親密派)とも呼ばれ、親しみやすく、温かみのある家庭の情景を得意とした。当然のことながら、そこには子どもが頻繁に登場する。ドニは23歳の時、マルト・ムニエと結婚し、彼女との間に7人の子をもうけた(1人は夭逝)。マルトと死別した後、50歳を過ぎて再婚し、後妻との間にも2人の子どもが生まれた。都合9人の子の親となったが、良き夫、良き父で子煩悩だったドニは古今を通じ、おそらく我が子を最も多く描いた画家のひとりであった。この絵のモデルは1915年生まれの末っ子のフランソワ、愛称アコで、当時3-4歳。
    ドニに限らず、子どもの絵には人形や玩具を一緒に描いたもの、当時人気のセーラー服を着せて水夫に見立てたものなど、親の思い入れが感じられるものが多いが、この絵ではトランペットをもった愛児の晴れがましく、うれしそうな表情が印象的である。トランペットとはいっても簡単なラッパに近いもので、これなら子どもでも吹けそうである。子ども服の装飾的な柄、モチーフにも、絵画における装飾性を重視したドニらしさが感じられよう。